4469.2019年8月7日(水) 遺骨収集のドキュメンタリー番組

 一昨日夜NHKで放映されたドキュメンタリー番組「戦没者は二度死ぬ~遺骨と戦争~」を興味深く観た。偶々当日シベリアから返還された日本人捕虜収容者の遺骨が、実際には日本人でないと指摘されていた時だった。

 この番組が解説していた主たる遺骨収集地は、中部太平洋諸島テニアン島とソロモン諸島ブーゲンビル島だった。テニアン島の洞窟内で家族に自決され、生き残った福島県在住の84歳の男性遺族にスポットライトを当てていた。終戦後74年が経過して、今では戦争体験のない人が大分増えた。その点でこの種のドキュメントは戦争を知らない世代にとって、戦争の悲惨さを目で知る貴重な資料だと思う。

 また、戦没者遺骨収集事業については、戦後の貧しい時代を耐えて立ち直った日本人の生活感と、戦争による被害を与えられたアジアの国々の感情論もあって、日本が希望する戦没者の遺骨収集事業とは必ずしも共感するところは多くなく、難しい問題が多々あったと思う。それでも当時は、厚生省が地元の人たちの協力を得て、曲がりなりにも遺骨収集を続けて日本へ遺骨を持ち帰ることが出来た。

 今考えてみると当時はDNAなんて誰も言わなかった。戦没者を証明する品物があったり、死の現場に居合わせた当時の戦友らの証言を得ることが出来て、大きな問題もなく戦没者を確定出来た。近年になって完全な形をした遺骨が見つかり難くなったこともあり、そういう単純な方法ではなく、DNA検査を実施するようになった。しかし、これにより戦没者の名を確認する手段がDNA以外になくなってしまったことが、今日問題を難しくしている。

 テレビで現場が報道されたテニアン島の洞窟周辺にも行ったことがあり、番組を観ていて身につまされたが、今では私が厚生省や日本遺族会の人たちと関わっていた1970年代の状況とは大分事情が異なるようだ。話によると今後は収集されたすべての遺骨を現地で荼毘に付すことなく持ち帰ることに決まったそうだが、すべての遺骨を持ち帰るのは大変なボリュームになるのではないだろうか。かつて遺骨収集団員が全員遺骨を段ボールに詰めて白布で覆って膝の上に置いて持ち帰ろうとした時、搭乗機のクルーによって段ボールは膝の上に置かずに、荷物室に置けと言われて、すったもんだしたことがあった。遺族会の言い分は、遺骨は荷物ではなく尊い魂なので、荷物室には置けないと突っぱねた。だが、それでは飛行機は飛ばさないと言われ、泣く泣く荷物室へ持ち運んだことがある。今後は大量の遺骨を荷物室に収めることになるのだろうか。

 今後遺骨収集事業はどうやったらスムーズにいくだろうか。このままトラブル続きでは、いつまで経っても戦没者は成仏出来ないだろう。

2019年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com