4432.2019年7月1日(月) 偽りの北朝鮮帰国事業「地上の楽園」

 昨日朝鮮半島国境線・板門店でアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長が電撃的に会談した。60年前その北朝鮮へ日本から在日朝鮮人を帰国させたプロジェクト・帰国事業が始まった。

 そのプロジェクトの実態が昨日NHK・ETV特集で再放映された。「北朝鮮への『帰国事業』知られざる外交戦・60年後の告白」というテーマだった。最初の放映を見逃したので再放送を録画して今日じっくり観てみた。中々興味津々の内容だった。この放送直後に虚偽やデマが混じっていると北系の朝鮮総連がNHKに抗議文を突き付けたという。彼らにとって都合の悪い内容だったのだろう。

 我々多少戦争体験を背負っている世代として、また長らく旧厚生省主宰事業の「太平洋戦争戦没者遺骨収集」に携わっていた関係から、この種の報道に少なからず関心が高い。終戦時国民学校初等科のクラスに「金田くん」という頭のいい朝鮮籍の同級生がいた。近くに住んでいたので毎日仲良く遊んでいたが、終戦直後に何の別れの挨拶もなく居なくなってしまった。近所の噂では一家で朝鮮へ引き上げたらしい。2学期が始まってもついに登校しなかった。

 暫くして6年生になった1950年6月25日、朝鮮動乱が勃発した。担任教師は授業中によく朝鮮戦争について分かりやすく話してくれた。3年後の7月27日停戦協定が結ばれ戦争は止んだ。何かと戦争に絡んで朝鮮に関する話題が多かった。

 朝鮮半島は太平洋戦争後南北に分断されたため、日本在留の朝鮮人は在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と在日本大韓民国民団(民団)に分かれてそれぞれ母国とつながっていた。戦後彼らは母国へ帰る意思がありながら、思うようにならなかった。個人的事情もあったが、それ以上に当時東西対立が影響し問題を難しくさせた。その中で北出身の朝鮮人は北朝鮮への帰国を強く希望、日朝両国政府に働きかけ日本・北朝鮮政府の合意の下に計画は実行された。1959年に初めて帰国船により母国へ帰って行った。それが北朝鮮帰国事業の始まりである。そして、84年に帰国事業が終息するまでに10万人近い朝鮮人が母国へ帰って行った。

 今回取り上げられたドキュメントは、「地上の楽園」という甘い言葉に誘われ在日朝鮮人が帰国はしたものの、北朝鮮国内においてその期待はものの見事に打ち壊され、困窮した生活を余儀なくされた実態を当事者の話を交えて構成したものである。

 一時帰国を許され一旦日本へ戻ったがそのまま日本に留まった人、及び耐えられずに脱北した人らは、家族を北に残したまま、彼らに会うことが叶わず、後悔の気持ちを胸に寂しい余生を送っている。

 この問題の背後には、社会主義社会の素晴らしさを世界にアピールするために、当時のソ連、中国、北朝鮮が談合して、殊更北朝鮮の裕福な生活を偽装してPRした。北朝鮮こそ極楽浄土であると世に訴えたのだ。今再び日本へ戻った人たちは、後悔の念とともに北へ渡った浅慮を悔やみつつ、このプロジェクトに携わった関係者に対して「地上の楽園」どころではなく、偽った情報に踊らされて厳しい生活を送らされたと彼らの責任を追及している。

 戦前植民地化した日本にも応分の責任がある。そのしわ寄せとなった人たちこそ気の毒でならない。

2019年7月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com