4424.2019年6月23日(日) 愛車に別れ、Farewell to my car!

 今日午後愛車を譲った元会社の山岳部友人が、約束通り奥さんとともに車を引き取りに拙宅へ来られた。彼は運転せず、奥さんが仕事でも車を運転するという。やはり13年も愛用して手放すとなると一抹の寂しさを感じる。13年間の走行距離は、55,800㎞だったので、1年平均で4,300㎞足らずだった。この程度ではそれほど乗り回したということはない。しかし、もう今後永久にハンドルを握ることはない。しばらくしたら免許証も返納するつもりだ。

 振り返ってみると58年間のドライブ歴でたった1度だけ、冬の箱根で凍結した道路を走りスリップして土手にそのまま車をぶつけてしまったことがある。この他に信号無視で4回罰金を払わされた。それだけで済んだのは、考えようによっては運が良かったかも知れない。

 新たな資格を取ったり、新しい技術をマスターしたり、或いは欲しかった物を購入したり、前向きに進んでいる若いうちは、一つひとつが喜びであり、楽しみでもある。それとは、反対に一つひとつ自分の周囲から大切にしていた物を処分していくのは、やるせないものだ。しかし、これが年を取り、老齢化していくということでもある。これから時間が経つと寂しさもまた湧き上がってくるものだろうか。

 さて、1945年太平洋戦争で沖縄が激戦の末陥落して74年になる今日、沖縄「慰霊の日」を迎えた。沖縄戦最後の激戦の地となった糸満市の平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式が開かれた。玉城デニー知事は、平和宣言で民意を無視する政府の姿勢を厳しく批判した。一方、来賓として挨拶された安倍首相は、基地負担軽減について努力する旨述べたが、批判されている辺野古基地移設については触れなかった。政府と沖縄県の間には相変わらず大きな溝がある。今では沖縄戦を知る世代も少なくなり沖縄戦自体も風化しつつある。

 折も折日本軍が撤退して75年を迎えて太平洋戦争中の激戦地インド北西部のインパールでは亡くなった人々の慰霊蔡が現地の人々の主催で行われた。29日には平和祈念館が開館されるという。戦争の悪夢が年々忘れられ風化していく時勢にも拘わらず、太平洋戦争の中でも最も残酷で無駄な作戦と言われたインパール作戦の記憶は、こうして現地の人々の間で語り伝えられている。

 いかなる戦争にも道理や正当性はないが、日本戦史上でも最悪と言われたインパール作戦は、実行する意味のない無謀なものと言われてとりわけ批判にさらされた。計画、実行面の責任者だった第15軍司令官・牟田口廉也中将の責任論が飛び交っていた。白骨街道と言われるほど多くの死体を放置された兵士たちに引き比べ、不条理にも牟田口司令官は戦後軍事裁判を経て服役し、保釈され自宅で静かに余生を送り亡くなられた。この辺りの不公平さについては、かつてビルマ慰霊団で同行した戦友会の方々が強く不満を述べておられた。

 無能な司令官の無謀な作戦により多くの尊い生命を失わされた兵士たちの御霊を慰める意味でも、インパールの悲劇を伝えて行かなければならないと思う。

 今は戦争の危険性が目前に迫っているわけではない点だけでも佳しと考えた方が好い。しかし、アメリカとイランはともに譲らず一触即発の緊張状態にある。知らないうちに戦争に突入していたという事態だけは、避けて欲しいと願う。

2019年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com