歌舞伎役者の坂東三津五郎が膵臓がんのため亡くなった。まだ59歳の働き盛りで急死されたのはいかにも惜しい。2012年12月には中村勘三郎が57歳で、その2カ月後には12代目市川団十郎が66歳で亡くなった。それぞれ幅広い役をこなし個性的な芸で知られていたが、三津五郎は踊りの名手でもあった。それにしても看板役者の早世は惜しみても余りある。
一昨年5月新歌舞伎座が竣工し、これから歌舞伎も発展の一途を辿るものと期待されていただけに、歌舞伎関係者にとっては大きなショックだろう。
私自身幸いにも新歌舞伎座の杮落し興業で、三津五郎の芸を見る機会があった。お披露目興業では、三津五郎は「菅原伝授手習鑑」で菅原道真の家臣「武部源蔵」を演じた。久しぶりの歌舞伎鑑賞で、しかも杮落しの新歌舞伎座だったので、ストーリーの内容よりその場の華やかな雰囲気に呑まれ見惚れていた。
昨年は納涼歌舞伎升席で三津五郎を観賞して良い思い出を持つことができた。今年も納涼歌舞伎でリフレッシュしようと思っていた矢先に、三津五郎の訃報を聞いた。納涼歌舞伎は三津五郎と勘三郎が、若手の育成を念頭に始まったものだと言われている。納涼歌舞伎もそれなりの評判を得た一方で、その舞台の縁の下の力持ちだった主役が揃って彼岸へ旅立つとは運命は皮肉である。歌舞伎は世界に誇れる日本文化と日本の伝統であるだけに、心よりその発展を祈るとともに、坂東三津五郎丈のご冥福をお祈りしたい。
さて、今日は皇太子殿下の55歳の誕生日である。ちょうど55年前のこの日、大学の登山仲間とともにスキー旅行をしていて新鹿沢温泉へ向かう途中ラジオで誕生のニュースを聞いた。皇太子誕生だ!男の子誕生だ!と嬉々として伝えるアナウンサーの声が強く印象に残っている。その皇太子も今や今上天皇が即位された時と同じ年齢になった。ヨルダンやサウジアラビアのような君主国家ではないため、政治にはタッチせず政治的な責任は負わないで済むが、近年国際社会との交流が益々高まる中で皇室外交の責任は一層重くなりそうだ。あまり過度な責任とお役を皇室に押し付けるのは、きついスケジュールとともに再検討した方が良いのではないだろうか。