4263.2019年1月14日(月) 梅原猛・元日本ペンクラブ会長逝く。

 哲学者で文化勲章受章者でもある梅原猛氏が、一昨日肺炎のため93歳で亡くなられた。梅原氏は日本ペンクラブ会長を6年間務められた。今から30年以上も昔知的生産の技術研究会で講演されたことがあり、その時若い男性が反対の強い意志を訴えるためには電車へ飛び込み自殺も厭わないと言って梅原氏を苦笑いさせていたことを想い出す。桑原氏は日本古代史の研究家でもあり、その分野で奇想天外と言えば語弊があるが、度々異色の梅原説を発表して世間をあっと言わせたし、反論もかなりあった。

 寡聞にして知らなかったが、新聞に依るとその有名な説のひとつは、法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする学説「隠された十字架―法隆寺論」であり、もうひとつは、柿本人麻呂は流刑死したとする「水底の歌―柿本人麻呂論」だそうである。通説を覆す独創的な説は梅原古代学とも呼ばれて一部では高く評価されているようだ。ただ、それに対してはかなり反論もあったようだ。リベラルな考え方は終始一貫して、イラク戦争や自衛隊の海外派遣には反対し、平和憲法擁護を訴えておられた。よく存じ上げている小中陽太郎氏の奥様のご親戚だったように思う。

 さて、昨夕テレビ東京で放映された「池上彰の世界を歩く」、現代史を歩くとのサブタイトルで「日本中が胸を熱くした美貌の金メダリスト」を観た。東京メキシコオリンピック体操競技で2大会連続金メダリストだったチェコのベラ・チャスラフスカさんを主人公にオリンピックの裏話と、彼女が関わった「プラハの春」とその当時のチェコの時代性に焦点を当てて興味深かった。

 「プラハの春」については、個人的に1968年「プラハの春」によるソ連軍及びワルシャワ機構軍のプラハ侵入により、プラハ留学の希望を諦めなければならなくなった個人的な事情から強い思い込みもあり、昨年「知研フォーラム」10月号に経緯を書いた小論文を寄稿したほどである。これまでにチェコへ4回訪れているが、チェコ国内のどこかで彼女についてしばしば話を聞くことがあった。それほど名の知られた人物ではあったが、「プラハの春」当時、ヘルシンキ・オリンピック長距離走で3つの金メダルを獲得して人間機関車と呼ばれたエミール・ザドペックとともに「2千語宣言」に署名して、これほど強くソ連に抵抗していたとは当時は思ってもみなかった。

 これとは別に、いつか訪日された時のインタビューで、近年の女子体操界が曲芸のような演技に傾きがちで、本来必要な「美しさ」や「優美さ」のようなものが失われつつあると寂しそうに語っておられたのが印象に残っている。2016年にすい臓がんで亡くなられたが、家庭的にはあまり恵まれず、東京五輪でチェコスロバキアの400mランナーだったオドンネル氏と結婚したが、その後離婚され、2人の間の息子によって元夫が殺害されるという辛く悲しい事件に襲われた。

 「プラハの春」だけに焦点を絞るのならこれでも好いが、チャフラフスカさんを主人公にするならプライバシーも取り上げないと本来の意味で彼女を描いたことにならないと思う。

 このドキュメントでは、「プラハの春」当時の映像を交え、どうして「顔のある社会主義国」、つまり「言論と表現の自由」を認めるチェコ式社会主義国家が破綻したのか、またソ連による厳しい秘密監視社会などについて分かり易く解説してくれた。1989年「ベルリンの壁」崩壊後に、新たにビロード革命を成し遂げて大統領に就いたヴァーツラフ・ハヴェル氏がチャフラフスカさんを大統領顧問に迎えたが、ハヴェル氏に日本人として早々にお会いしたのも小中氏だったと思う。

 それにしても池上氏はしきりにプラハを世界で一番美しい街と持ち上げていたが、確かに世界の古い都市の中で「百塔の街」と呼ばれるプラハは美しい。街の様子を観ているともう一度訪れてみたいと思う。

2019年1月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com