満開の桜もそろそろ散り始めている。自宅周辺には駒澤公園の他に、今では暗渠になった呑川に沿って桜並木があるので、通りすがりの花見を楽しむことができる。そんな桜咲く季節に合せて各地で入学式が行われている。
わが家でも奈良県生駒市に住む長男宅の長男と長女が、昨日日曜日にも拘わらずそれぞれ高校と中学の入学式に出席して長男夫婦も同席したと聞いた。自宅の周辺の目黒区立小学校でも1年生が両親ともども新しい制服を着て桜の下の校門を入って行った。
振り返ってみると私が小学校というより、当時の国民学校初等科に入学したのは終戦の年だったので、今年でちょうど70年になる。あの時は房州・勝山町に引っ越したばかりで、知り合いもなく地理も不案内で東京育ちの母は相当悩んでいたようだった。近所に住んでいた父の会社の人に学校へ案内してもらった。ある時校外授業で生徒たちが田畑を歩いていた時、突然米軍機が襲ってきた。女性担任の青木先生が慌てて「皆さん!伏せなさい!」と大きな声で叫んだことが強く印象に残っている。終戦までの5ヶ月間は米軍機の空襲に不安を感じたり、防空壕に逃げ込んで警戒警報が解除されるのを待ったことなどが忌わしく思い出される。
あの当時から考えれば今では表向きずっと平和になったと言える。だが、実際はどうだろうか。近年戦時中の軍国主義の匂いが紛々と漂ってきているのではないだろうか。これからの子どもたちが安心して豊かで平和な生活を送れる保証は年々希薄になっていると思う。
今日信州大学でも入学式が行われた。新入生を前に山澤清人学長は、歓迎祝辞の中でスマホの使用について「スイッチを切って本を読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根本から考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と述べた。スマホを止められるか、信州大生を止められるか、とも問いかけた。スマホの過剰利用をセーブし、もっと大学生としては考える習慣を身につけるよう求めたものである。私自身普段スマホを使用しないので、その利便性は活用していない。しかし、その便利性だけは理解できるので、簡便に作られた情報を得ることにばかり振り回されて自分の頭で考える習慣を身につけることを忘れてしまうことを心配する。その点では、山澤学長のメッセージに賛同するものである。