天皇・皇后両陛下はパラオ・コロール島近くに停泊している海上保安庁の巡視船「あきつしま」からヘリコプターで、玉砕の島ペリリューの「西太平洋戦没者の碑」を訪れた。この慰霊碑は私が訪れた30余年前にはまだ建立されていなかった。両陛下は生き残った元兵士や遺族が見守る中を、日本から持っていかれた白い菊の花を供えて戦没者の霊を慰められた。同時に目の前に見えるアンガウル島に向って拝礼もされた。
今日は波静かでアンガウルまでわけなく行けそうに見えたが、私がスピード・ボートを操縦する青年と2人で島へ向かった時は曇天で海は荒れ狂い、揺れに揺れて今にもひっくり返り海底へ呑みこまれるのではないかと恐怖感を憶えたくらいだった。アンガウルへ着くと偶々波止場の土手の上に当時のエンドウ村長が待っておられ、これから海が荒れると波が一層高くなり帰れなくなる恐れがあるので、今直ぐにペリリューへ引き返しなさいとアドバイスされ、アンガウルへ上陸することもなく、大波の中をペリリューへ戻って来たことも懐かしい思い出のひとつである。夕暮れ近くなった海面上をトビウオの群れが飛びまわっているシーンに、トビウオというのは魚類というより鳥類ではないかと思ったほど波の上で群れを成して旋回している姿が強く印象に残っている。これもペリリューのもうひとつの思い出である。
アンガウル島は1150名の日本人戦死者を出した小島であるが、画像で観る姿は平べったい何事もないような平和な島に見え、こんなところで多くの人が殺し合ったのかと思うとまたぞろ戦争の恐ろしさが甦って来る。
パラオには、隣国のミクロネシア連邦のモリ大統領夫妻とマーシャル諸島共和国のロヤック大統領夫妻もやって来られ、昨夜晩餐会に出席された。できることなら、両陛下には更に御苦労を強いることになるが、この機会にこの両国にも訪れてもらいたかったというのが本音である。両大統領も多分そう願っていたのではないだろうか。拙著「南太平洋の剛腕投手」にも紹介したように、アイザワ大酋長の存命中天皇が最初に巡拝されるのは、ミクロネシア連邦(旧トラック諸島)だと信じられ、一時は読売新聞にも報道されたほどである。それを思えばミクロネシアのモリ大統領や島民にとってはさぞや残念な思いがしていることだと思う。
両陛下はペリリューでは米軍戦没者の慰霊碑でも花輪を捧げてアメリカ人戦没者の霊を慰められた。今夜9時過ぎに両陛下は羽田空港へお帰りになった。お疲れ様でしたと申し上げたいと思う。