旧蝋武蔵野商工会議所で行った講義で知り合った方から、波瀾万丈の人生を全うした天才肌の魅力的な男の一生を綴った、1冊の書をいただいた。その方は企画会社を経営しておられ、先日不意にその本の感想を尋ねられ、よければそのストーリーの一部を深く掘り下げて、話を広げて1冊の本として書いていただけないかという依頼をいただいた。今日その方の会社を訪ねて話を伺ったが、ドキュメントとして1冊の書物に仕上げるには、例えこれから未知の新しい情報をいただいたにしても、果たして読者を満足させる内容に仕上げることができるかどうか自信がない。その社長さんには、そう申し上げて折角のお申し出であったが、お断りすることにした。
私がいただいた書物は「最後のロマン―三嶋一声一生旅―」と題する自費出版書である。この三嶋という男が浮き沈みの多い人生を送った冒険野郎で、ヒット曲を生んだかつての演歌歌手であり、絵描きであり、書道家で、居合も嗜む猛者だった。読んでいて冒険心をそそられる、ある意味で空前絶後の人物である。この三嶋が戦前小唄勝太郎とともに「東京音頭」を唄った人物とはまったく知らなかった。貨物船でヨーロッパへ渡り、その後ユーラシア大陸を蒙古まで辿りつき、関東軍の要請で特務機関的な諜報活動を行いながら華やかな女性関係を持つ、羨ましいような一生を送った。そのロマン溢れる人生の一部とは言え、その人の人生の襞に触れることは躊躇され、私には少々荷が重いことも事実である。
社長さんからは別のフィールドの話でも結構だと言われ、有機農法について話が合ったが、有機農法は逆にあまりにも地味過ぎるのではないかとこれも結局没となった。折角の話ではあったが、機会があれば、また紹介していただくことにして話を終えた。それにしても他界して相当日時が経過した、あまり世に知られていない人の人生を甦らそうと考えるとは随分奇特な方がいるものだと、この社長の熱心さには感心している。
さて、意外というか、驚いたというか、かつて社会党党首として総理大臣も務めた村山富市氏が大分県知事選と大分市長選で自民党系の候補者にエールを送ったとして社民党県連合幹部、党員が呆れ、苦り切っている。しかも社民党県連はお眼鏡にかなった推薦候補がいたのに、元党首がこともあろうに仇敵の自民党候補に手を貸そうというのだから、村山氏の個人的な好みであろうか、或いは時代の流れであるにしても、こんなことが許されるのだろうか、つい首を傾げてしまう。
最近元首相の間で奇怪な行動に走るご仁が目立つ。つい先日は国内で反対の声を押し切ってクリミヤ半島を訪れた鳩山由紀夫元首相がいる。次いで今度は、リベラル派の社民党名誉党首・村山富市元首相の言動が変わり者として取り上げられるようになった。村山氏は、現在91歳ではあるが、今年エポックメーキングな終戦70年に当り、村山談話が脚光を浴びるのに、ボケてはいられないのではないだろうか。まるで天下太平の世である。
下記は日時を改めて書く。
昨日産経新聞前ソウル支局長が韓国から出国禁止措置が解除されたことを受けて、日本ペンクラブでも直ちに談話を発表した。「改めて自由な言論の回復を求める」「長期に亘りジャーナリスにとって、重要な移動の自由が制約されてきたこと、批判の自由に事実上の大きな圧力がいまだ続いていることに日本ペンクラブは改めて抗議する」とごく当然の抗議声明を出した。
折も折昨日ペンクラブでも新しい理事20名が選出され、浅田次郎会長は3期目の体制に入った。ただ、言論の自由を標榜するペンクラブが最近ややアピールが弱くなっており、言論界に対する影響力も低下しつつあるのではないかと懸念の声が会員の中にもかなりある。そんな声を現在の浅田次郎会長以下執行部はあまり深刻に捉えていない。6月に第3次浅田体制が正式にスタートするが、政府が右傾化し、戦争の危機が迫りくる中で現状を良く見詰めて、もっと強く言論の自由、平和憲法を断固守り抜く姿勢を言論で示さなければ、自由を理念とする日本ペンクラブも形骸と化してしまうだろう。我々全会員もひとりひとりが行動を起こさなければ、鼎の軽重を問われることになるだろう。