14日に福井地裁が高浜原発3、4号機の再稼働を認めない仮処分を決定したことに対して、今日関西電力はこの仮処分決定を不服として決定の取り消しを求める保全異議を福井地裁に申し立てた。同時に再稼働禁止の執行停止も請求した。14日に決定が下された時点で関電は異議を申し立てると述べていた。現状では再稼働できるまでには司法から下された仮処分をクリアしなければならず、かなりの時間と手続きが必要である。だが、関電にとっては死活問題に関わることであり、当然予想された折り込み済みの成り行きである。この問題については、司法の場で決着さえつけば、エネルギー政策上政府と関電は遮二無二堂々再稼働を推進するだろう。
最近とかく騒がしくなってきたのは、政治が放送現場に介入し報道番組にプレッシャーをかける動きを見せるようになったことである。今日自民党がNHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、報道番組の内容について事情聴取したそうである。自民党の情報通信戦略調査会は真実が曲げられた放送がされた疑いがあると疑心暗鬼になりメディア2社から事情を聞いたわけである。その結果は自民党とメディア側両者の奥歯に物が挟まったような事後の発言から察すると、自民党が相当圧力をかけ、メディア側が押されて委縮した印象が強い。それにしても最近のメディアは弱くなってきた。1社でだめならメディアで共同歩調を取り、対抗すれば良いのにそれをやろうとしない。各社それぞれの思惑があるのか、横の繋がりが弱い。これこそ政府・自民党の思う壺である。
政治による報道の自由への圧力が徐々に増している。しばらく前にはこんな理不尽なことはなかった。段々戦時中の軍部主導のスタイルと変わらなくなってきた。特に安倍政権になってから報道の自由、言論の自由に対する締め付けは一段と強まった。現在の一強多弱体制がこのまま盤石ならば、益々言論の自由に制約が強まり、中国の共産党一党独裁政権のような非民主化と非言論の自由が、「保守王国」日本列島でも現実となるのではないかと心配である。
さて、誰にもあることかも知れないが、偶に「アスペルガー症候群」ではないだろうかと思える人に出会うことがある。戦前シャンソン歌手ダミアの歌を淡谷のり子が唄ってヒットした「人の気も知らないで」という歌があった。その歌手の気持ちとは反対の立場から相手の気持ちを斟酌することなく自己主張を押し通し、こちらがいくら正しいと思うことを善意で言ったところで一向に取り合おうとしないから始末が悪い。自分の言いたいことだけを一方的に喋って、あなたの言い分は間違っていると決めつけ、そんなことを主張すると相手に迷惑を及ぼすとか、和が乱れるなどと勝手に解釈して自分の意見を押し付けようとして、独断的な自己主張に拘ってひとり酔っているのだ。はっきり言って手に負えなくなって口をきくのも面倒になる。よくもこんな独断的、利己的持論を押し通して今日まで歩んでこられたなと呆気にとられることもある。
残念ながらこういう人たちとはとても親しい友人関係は成り立たないので、僭越だが一定の距離を置いて時折話題を絞って付き合うことにしている。それが世の中を渡り歩くためのノルマと信じて自分自身の成長に少しでも役立つならと言い聞かせながら、あまり聴きたくない独善的講話を拝聴する。これも自らの成長のためであると言い聞かせることにしている。