昨日エンジンがかからなくなって預けた車について、販売代理店からエンジンはかかるという連絡があった。ただ、一時かからなくなった原因が不明のままでは、この先不安でもあり、もし不便な場所でエンストでもしたら往生すると思い2,3日徹底的に検査してもらうことにした。普段は気づかないが、便利な道具が故障すると不便は倍加されるのではないかと思った。
さて、昨日告示された統一地方選後半戦が始まり、小雨の中を街宣車が自宅周辺で候補者の名を連呼している。これから当分の間耳障りな音を聞かされることになるが、これも一時的なことでもあり仕方がない。先週の前半戦でも懸念されていたが、今度も無競争による当選者が多いことが気になる。89市長選のうち、27市長が無競争で当選という。県庁所在地の長崎市長や津市長がそうだ。候補者が見つからず無競争選ということは自分たちの意見や要望が具現できなくなることである。同時に選挙の争点がなくなり住民は知らず知らず身近な問題から離れて行くことになり、それは民主主義の崩壊にも繋がりかねない。そこには、政治への無関心が大きな原因ではあるが、平成の大合併以来小さな町村が大きな都市に吸収され、地域が広がり同じ身内の都市内でもお互いをよく知らず、他人事のような気持ちになる地方住民の事情がある。
ところで今年はアメリカの第16代大統領エイブラハム・リンカーンが暗殺されて丁度150年になる。1865年4月14日妻とともに観劇中に撃たれたリンカーンは、その当時国中を悲しみのどん底に陥れた。リンカーンの葬送列車が首都ワシントンから数週間をかけて弁護士としてスタートしたイリノイ州スプリングフィールドまで2500㎞を走り、悲しみにくれる国民から哀悼と感謝の別れを告げられた。沿線で列車が通り過ぎるのを見送った国民は数百万人に上ったという。
150年前の明日4月21日にワシントンを離れたリンカーンの遺体は、北上した後西に方向を変えてオンタリオ湖に沿いインディアナポリス、シカゴを経てスプリングフィールドへ辿った。その間ニューヨーク・マンハッタンで行われた別れのパレードは当時立体写真が作られ臨場感を以って市民に伝えられたという。この列車のルートはリンカーンが大統領就任式のために通った経路である。私もリンカーンの立志伝については中学時代に伝記を読み、随分感銘を受けたものである。
かつて文部省の教員海外派遣団のお供で何度となく欧米の学校を主に教育施設を訪問したが、このルートの中でもニューヨーク州の小さな町ユーテイカを訪れたことがある。その時、やはり葬送列車と同じようにニューヨークから列車でゆっくり現地へ向かったが、リンカーンはあんな地味な町まで行ったのかと考えると妙に愛おしく想い出されてくる。
リンカーンが死の1年半前にゲティスバーグで演説した「・・・人民の、人民による、人民のための政治を地上から消滅させてはならない」というあまりにも有名な言葉は、今や右傾化して国民の声を軽視する安倍首相の言動を思うにつけ、決して忘れてはならないと思う。