2904.2015年4月26日(日) ベトナム戦争終結40周年集会

 統一地方選挙の後半戦、世田谷区長選と区議選が行われたので、午前中いつも通り東深沢小で投票を済ませ、やや早い昼食をしてバスで東京タワーのある芝公園へ出かけた。集合は「複眼的報道の塔」という新聞協会が建てたちょっと分かりにくい場所にある時計塔だった。交番と東京タワー案内所の2か所で尋ねて漸く探し当てた。元ベ平連の小中陽太郎さんのセンチメンタルな思いから、ベトナム戦争終結を振り返り、現在の沖縄問題に関する日米両政府の対応に対して抗議する試みである。集まったのは、いつものペンの仲間とベ平連関係者約15名だったが、デモの許可を得ていないので街頭を行進することができず、塔の前で参加者がそれぞれコメントを言い合い、台石の上でシュプレヒコールを繰り返し気勢を上げた。

 1965年4月24日にベ平連が叫んだのは、「アメリカはベトナムから手を引け!」「ベトナムはベトナム人のものだ!」「日本政府はアメリカに協力するな!」だったが、今日我々は「アメリカは沖縄から手を引け!」「沖縄は沖縄のものだ!」「日本政府はアメリカに協力するな!」「日本政府は『殺すな!』」を叫んだ。最後の『殺すな!』はベトナム戦争時にワシントン・ポスト紙、ニューヨーク・タイムズ紙に反戦広告を掲載した時の標語で、主旨に賛同された岡本太郎に書いていただいた文字である。

 静かな場所で全員声高にシュプレヒコールを上げた。通りがかりの日本人や外国人が興味深そうに我々を見ていたが、久しぶりのデモ的行動で少しは政府の右翼的姿勢に対する鬱憤が晴れた。メディアを通した訴求度は弱いものかも知れないが、それでも、The Japan Times社の論説室顧問・川畑泰氏とベトナム通信社東京支局長ブイ・フー・タン氏が取材に来られた。タン氏のご両親は戦時中北ベトナムのハノイに住んでおられ、枯葉剤による後遺症が今も残っているという。タン氏には僭越ながら私の経歴に大変興味を持っていただき、10分近くテレビ取材を受けることになった。ベトナム戦中、戦後にベトナムを訪れた体験、ベトナム反戦への考え、現在の反戦行動、安倍政権の保守というより右翼的言動、反戦に対する意識等々について忌憚なく持論を述べた。終戦記念日の今月30日にハノイから放映されるそうだが、残念ながら画像を観ることはできない。

 集会を終えて近くで買い込んだ缶ビールを仲間同士で飲み語らう。小さいながらもこんな楽しい反戦メモリアル集会もない。これも小中さんのお人柄と行動力、あくなき反戦への思いによるところが大きい。まもなくベトナム終戦40周年がやってくる。

 さて、昨日ネパールで起きた地震の被害は拡大して、犠牲者は2千人を超えた。日本人の犠牲者も見つかった。M7.8と揺れも大きかったが、建物が煉瓦構造というのが被害を大きくしたようだ。それに山岳地帯なので地震とはあまり縁がないと思っていたが、これまでも5年に1度くらいの割合で大きな地震が起きている。それにそもそもヒマラヤ山脈も地殻変動によってできたものだ。それほど地震の巣窟のようなところだ。まだまだ心配である。

2015年4月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com