訪米中の安倍晋三首相が、昨日米議会上下両院合同会議で演説した。事前に各方面からかなり注目されていた。日本の首相でこのような場でスピーチしたのは、安倍首相が初めてである。未来志向を主張し、先の大戦への痛切な反省には言及したが、侵略や謝罪という言葉は一切使わなかった。朝日の論調は、対米と対アジアの2つの顔を見せたと冷ややかなものだった。
安倍首相の演説について、戦争に対する責任論が取り沙汰されている。勝者、敗者いずれの側にも責任はある筈である。それは、昨日のブログで言及したベトナム戦争についても同じである。戦争中アメリカ軍に協力して参戦した韓国軍の暴虐行為に対して、今ベトナムと韓国で責任と謝罪が注視されている。そこへ今朝新聞各紙が、厚生労働省がシベリア抑留死者1万人の名簿を発表したと報道した。北朝鮮、中国、サハリン抑留者の死者も含まれている。しかし、戦後70年である。あまりにも遅い対応である。これはロシアがこの期に及んで厚労省に伝えたものである。
シベリア抑留者の悲劇だって勝者であるソ連に責任はある筈である。それに対して謝罪と言う言葉がかつてソ連とロシアから聞かれたことはない。そうなると勝者は体の好い事だけ言って責任はすべて敗者に負わせて逃げていることになる。
翻ってベトナム戦争は、アメリカ合衆国が建国以来唯一敗れた戦争と言われている。だが、昨日和田春樹教授が追及していたように、アメリカはベトナムに謝罪も賠償もしていない。アメリカとともに戦った韓国も敗戦国になるが、一切謝罪はしていない。それどころかベトナム戦争中の蛮行が表面化しても両国からは国としてお詫びの姿勢はまったく示していない。
こうなると安倍首相の演説で謝罪を言わなかったことはどう理解すべきであろうか。首相の演説で問題なのは、心から謝罪の気持ちが感じられないからである。それどころか、A級戦犯に対しても他の戦没者に対すると同じように尊崇の念を抱いている。侵略した国の人々に対して気持ちのうえで、迷惑をかけた、申し訳ないとの気持ちがあれば、意自ずから少しは通ずると考えられると思うが、ちょっと甘いかなぁ。いずれにせよ首相には、傲慢に前進することだけが我が意を伝えることであると考え、アジアの人々の気持ちを斟酌する気持ちがなく、周りの意見を聞いてみようとの気持ちがないからである。
今でこそ一強多弱の基盤に乗っかり威張りくさっているが、いずれ首相の座を去らなければならない時が来る。その時どういう心境で王座を去るのか。