4105.2018年8月9日(木) 長崎原爆投下から73年

 台風13号が深夜のうちに本州沿いに東北海上へ抜けて行った。 

 6日広島の原爆投下記念に続き、今日は長崎の73回目の原爆投下記念日である。今年はグテーレス国連事務総長が国連代表として初めて記念式典に出席され、「核保有国は軍縮を行う責任がある。長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう」と挨拶された。最近の広島、長崎の記念式典では、市長に続き安倍首相が挨拶されるが、メッセージは決まりきったような内容である。両市長は地球上から核の恐怖をなくすため、日本も核禁止条約を批准するよう安倍首相に求めているが、首相は核保有国の間で考え方が異なっていて、日本は核保有国と非核保有国との間の橋渡し役をしたいと敢えて難しい行動を持ち出し、日本が核兵器禁止条約に署名するとの積極的な姿勢はまたもや示さなかった。

 こうしている間に73年が経過した。今年長崎の大浦天主堂が「長崎と天草地方の潜伏キリスタン関連遺産」のひとつとして、広島の原爆ドームと同じように世界遺産に登録された。

 大浦天主堂については、数々の逸話が残っているが、中でも印象的なのは、永井隆博士と藤山一郎さんとの交流から生まれた往年のヒット曲「長崎の鐘」である。藤山さんは義父の幼稚舎時代の親友であるが、数多くのヒット曲を歌ったその藤山さんの持ち歌の中でも「長崎の鐘」が最も好きな曲である。長崎というと「長崎の鐘」が頭に浮かんでくる。歌のイメージは永井博士の大浦天主堂との関わりにあるが、これも原爆によって破壊され、再建されたものである。

 今日も長崎市平和公園の記念式典の様子を見ていると、自然に「長崎の鐘」を口ずさみたくなってくる。

 かつて、アメリカの小学校を訪れた時、子どもたちに尋ねたことがある。彼らが知っている日本語だったが、地名としては東京、広島、京都、長崎、横浜・・・という名前がよく知られていた。それくらい原爆投下により広島、長崎は世界中の人たちに知られるところとなった。

 夜NHKニュースで長崎の被爆者が、原爆を製造し、原爆の町と呼ばれているアメリカ・ワシントン州リッチランドを訪れた時の様子を伝えていた。町の高校校章が原爆雲で、原爆を製造していることを誇りに思っていると町の人は言い、レストランの看板にも「アトミック~」が目立つ。原爆で多くの人が亡くなったと言うと、原爆がなかったらもっと多くの人がなくなっただろうと言い、とても被爆者の言葉は彼らの心には届かないようだ。

 こういう実情を踏まえて、グレーレス事務総長が「核軍縮はプロセスが失速し、ほぼ停止している」と懸念しているように超大国が競い合う核開発競争の中で、今後どうやって非核化を世界へアピールしていったら良いのだろうか。

2018年8月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com