今年は第2次世界大戦が終わって70年目という節目の年を迎えて、戦勝国とされる国々でそれぞれ式典や記念行事が行われている。
昨9日モスクワの「赤の広場」では対ドイツ戦勝70周年を記念する式典が行われ、ロシアは久しぶりに大がかりな軍事パレードで軍事力を世界に示した。ウクライナ危機、特にクリミア半島侵攻を巡る対立から10年前とはうって変り、日米欧の多くの首脳が出席を見送ったが故に敢えて存在感を披歴したのである。わが安倍首相も招待を受けていたが、日米同盟を配慮して欠席した。出席した大物は、中国の習近平国家主席、シーシ・エジプト大統領、ラウル・カストロ・キューバ国家評議会議長、潘基文・国連事務総長らだった。ドイツのメルケル首相は10日にモスクワを訪れ無名戦士の墓に花を手向ける予定である。
実は、ナチス・ドイツの調印した降伏文書が発効したのは5月8日深夜だったために、ヨーロッパでは8日が終戦とされている。しかし、ロシアでは僅かな時差の関係で一日遅れの9日が戦勝記念日とされている。その8日にはヨーロッパ各国で追慕する行事が行われた。
ただ、戦勝国とは言えロシアについて言えば、中国ともどもナチス・ドイツやイタリアら過激な民族主義者ファシスト集団を相手にヨーロッパ戦線で相手国を打ち破り、アジアでも帝国主義国家として日本を名指しで非難しているが、ロシア、中国の主張すべてを鵜呑みにすることはできない。果たしてロシアのいう「正義」は、真に正義に価するものだろうか。ロシアは長崎に原爆が投下された当日未明、日本の敗戦が歴然としてから日露不可侵条約を一方的に破棄して、宣戦布告した。しかも日本がポツダム宣言を受託して敗戦を認めてから、千島列島を南下して無法にも日本の北方領土へ侵攻し占領した。これこそがそもそも北方領土問題が生まれた原因である。戦後70年が経過したが、北方領土問題に関しては一向に明るい見通しが立っていない。これは明らかにロシア側に責任がある。
今朝のTBS「サンデーモーニング」でも寺島実郎氏が、ロシアにはファシスト呼ばわりされたくないと思わず本音を言っておられたが、これがすべての日本人の正直な気持ちではないだろうか。
ともかくソ連、ロシアのやり方は昔から有無を言わせず、強引に力で乗っ取るやり方で、これこそがファシストと言って過言ではないと思う。ウクライナのポロシェンコ大統領もロシアに対して第2次大戦ではウクライナこそが対独戦勝利に貢献し、ロシアは勝利を独占し自らの帝国主義的政策の言い訳に使う権利すらないと厳しく非難している。
ロシアはいつ帝国主義的体質を民主主義に変革、脱皮できるのだろうか。プーチン大統領の平素の言動を注視してみるとそれこそ夢ではないかと思える。
さて、今日5月10日は「母の日」であり、我々夫婦にとっては結婚記念日でもある。結婚当時はまだまだ半人前だった。年齢も30歳を過ぎて半年で、一家の主としてやっていけるという絶対的な自信があるわけではなかった。チェコスロバキアのカレル大学へ留学しようと密かに考えて渡航、留学方法を模索していた1968年8月20日、あの衝撃的で世界中を震撼させた「プラハの春」事件が起きて、儚くその夢は消えてしまった。すでに会社へ辞表を提出して退路を断ってしまっていた。大学ゼミの恩師飯田鼎教授にご相談し、辞表を取り下げたことなど暗い迷路を歩いているような一時期があった。4年前に他界された飯田先生追悼文集の編集責任者を務めることになり、先生への感謝を込めてこの辺りの経緯について追悼文集へ一文を綴った。折も折今夕飯田先生の奥様から先生のご命日にゼミの仲間からお花を贈ったことに対してお礼のお電話をいただいた。
妻とは双方の両親をよくご存じのお仲人さんご夫妻のお世話により見合いで結ばれることになり、幸い今日まで46年間恙無く過ごし2人の息子もひとり立ちすることができた。
若気の至りで自由気ままに独身時代を過ごし、堅い鉄道会社の経理部に所属しながらまだあまり海外旅行が普及しない時代にひとりで武者修行をしていた。後年になって、特に最近になりその後関わった仕事が私の性格に合って、後々役立つ知識や信念を身に付けることができたと思っている。早めに性格的にあまり向いていない経理業務から離れることができたことは幸いだった。それも会社が海外旅行を始めることを視野に旅行会社を創設し、海外旅行部門をスタートさせて私にその主たる業務を任せてくれたことは今も有り難いと思い、初期の海外旅行業務で、旅行の企画面、営業面で思い切り注力することができたと思っている。
時代も良かったし、運も巡り合わせも良かったと思う。
今振り返ってみても会社がどう評価しようと私自身後顧の憂いなく仕事ができたと思っている。この間海外への出張も多かったが、安心して家庭を任せ仕事に専念できたのは妻護江の労によるところが大きい。今年妻は古希を、私もめでたく喜寿を迎えることになった。妻に感謝である。