4059.2018年6月24日(日) 間違いだらけの歌詞、ワールドカップ・テーマ曲

 近年戦没者の慰霊祭に出席することがほとんどなくなったが、かつて旧厚生省主宰の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関わっていたころは、しばしば慰霊祭で御霊にお参りしていたものだった。

 今朝の朝日新聞投稿欄「声」に「御霊」について、20歳の大学生と62歳のNPO職員の投書が掲載されている。それは開催中のサッカー・ワールドカップに因んで民放がテーマ曲として流した「HINOMARU」の歌詞について疑問を呈したものである。そのNPO職員は投稿で「RADWIMPS」が唄ったテーマ曲の歌詞がおかしいと首を傾げている。

 投書では、「~歌詞に『僕らの燃ゆる御霊』とある。『僕ら』の『御霊』? 『御霊』は死者の霊魂。生きている『僕ら』はまだ『御霊』ではないし、そもそも、敬意を表す『御』を自分の『霊』につけるのはおかしい。~」と言って歌詞は誤用であり、作詞者は歌詞の意味を理解していないと鋭く批判している。まったく同感である。そもそも「御霊」とは死者の霊魂を尊んでいう言葉であり、「僕らの燃ゆる御霊」とはどうあっても理解できない。作り手も歌い手もこの意味することが分かっていないのに、語感とか思い入れだけで「御霊」という言葉を安易に使ったのではないか。

 慰霊祭で献上する言葉は、普通彼岸へ旅立った死者に向かって敬意を込めて安らかに眠って欲しいとの気持ちを捧げるもので、誰もが心を打たれるものである。特に旧戦場の慰霊祭などで散華された戦没者に捧げられる言葉には、万感の思いが伝わりそれが傍で聞いている人たちの心に響き、つい涙が溢れてくるほど感動的なものである。たかがスポーツの場面で興奮して荒々しく魂を鼓舞するものとはまったく異質のものである。意見を述べた男性の気持ちがよく分かる。この曲では作詞者が「御霊」という言葉を使い方も分からず安易に使ったものと思える。言葉は乱れ、不愉快な表現が頻発する。言論の自由とは言え、戦没者に関わる表現だけに彼らの気持ちを慮って少しは慎んでもらいたいというのが、戦没者の慰霊行事に関わってきた者の気持ちである。

 年寄臭い言い草になるが、近ごろの若者はあまり読書をしないと言われるし、手紙もあまり書かない。従って文字や言葉の意味をあまり知らない若者が多い。その彼らが、「御霊」という言葉を軽々に使うことが世間に誤解を広めるのだ。

 大体グループの名称「RADWIMPS」なんてどういう意味だかさっぱり分からない。また、日本人なら国旗「日の丸」を「HINOMARU」なんて軽率にローマ字で書くなんてことは遠慮してもらいたい。こんな曲をテーマソングに使用する民放のレベルもかなりいい加減で、これでは泉下で戦没者も浮かばれないだろう。

2018年6月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com