昼間見るとはなしにテレビを観ていたら、ある民放で歴史的事件の名称変更を説明するような興味深い番組をやっていた。興味を惹かれたことがいくつかあったが、最も驚いたのは現在の教科書では、「大化の改新」と呼ばれる645年中大兄皇子が藤原鎌足とともに蘇我入鹿父子を倒した争いは今では乙巳(いっし)の変と呼ばれ、その後の一連の改革を「大化の改新」と教えているという。その他には、1637年天草四郎時貞が戦った島原の乱は、歴史上最も激しかった一揆として「島原・天草一揆」と紹介されているという。新しい史実が明らかになれば、それを修正するのは当然ではある。しかし、過去に必ずしも確証がなくともそのように決められ、それが定着していたところ、最近になっていとも簡単に変更されるのは、昔教えられた者としてすんなり納得するには幾分抵抗がある。
例えば、こういう話もあるそうだ。
鎌倉幕府が開かれたのは日本人なら誰でも知っているように、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任じられた西暦1192年で、年代暗記の好例として「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と我々が受験生だった頃は覚えたものである。ところが、その当時「幕府」という言葉もなく、鎌倉幕府が開かれたのは6つの説があるという紛らわしい話があり、その中では1185年説が今最も有力であるという。最近の教科書ではほとんどこの1185年を鎌倉幕府開府の年号として採り上げているらしい。因みにこの年は壇ノ浦で平家が滅亡し、頼朝が朝廷に日本全国へ守護・地頭の設置を認めさせたことから頼朝の実質的な支配が始まった年である。
それにしても史実がこう頻繁に変えられると、変更の事実を知らされない昔の教育を受けた人たちは、間違った史実や名称のまま頭の中で想像を巡らせていることになる。
世界の長い川の順位も10年も経つとナイル川とアマゾン川が入れ替っているようだし、面積も埋め立て工事などで変わっているようでもあり、今頭の中にインプットした事実・真実もいずれいつの日にか、変わってしまうものだろうか。それにしてもうっかりしていると日本人でありながら、日本史を間違えて覚えたままになっているケースに陥ってしまうわけである。あんまり気持ちの好いものではない。
さて、本日でこのブログ書き込みも9年目に入った。我ながらよく続けて来られたと思っている。過去8年間毎日1日も欠かさず書いてきた。海外へ出かけてどんな状況下にあっても何とか書き続けてきたのは、やはり生来文を書くことが好きだからだと思う。どんなに疲れていてもこうしてパソコンに向ってタイプすることに何の抵抗もない。7月には連続3千回を数える。いつまで続くだろうと好意的に、或いは興味本位に見守ってくれている友人たちもいると思うとそう簡単にギブアップするわけには行かない。今の願いは10年を迎えたら、或いは連続5千回を数えたら、いくつか自分でも印象的な文を書いたブログをセレクトして私家版でも出して友人らに読んでもらおうと考えている。夢は実現できるかなぁ。