2020年開催の東京オリンピックでは、現在取り壊し建築中の新国立競技場にオリンピック開催時には、開閉式屋根を取り付けないという杜撰な話がトップ会談の場で公になった。どうしてこういうお粗末な話になったのだろうか。
当初イラク人女性デザイナーが提案した一風斬新なデザインが採用されたが、これまでの国立競技場の周辺環境との絡みから景観面で反対論も出て、そのデザインを若干変更し、コストも削減するとの狙いからデザイン変更、そして建築費も3千億円から半額に削減して、着々と準備が進んでいると思っていた。実際旧国立競技場はすでに取り壊され、厄介な問題を抱えた神宮野球場と秩父宮ラグビー場の解体、移転、新設を抱き合わせて計画が進んでいる。こともあろうにその最中において、計画変更、費用の一部である500億円を東京都に負担して欲しいと唐突に下村博文・文科相が舛添要一・東京都知事に求めた。知事には青天の霹靂だったようで、都民が負担する以上その理由を説明するよう要求した。いずれにせよ、無計画、無責任のそしりは免れない。
それにしても五輪関連施設の建設がどうして躓いたのか。これまで日本が計画するこの種のスケジュールはほとんど狂ったことがなかったと思う。むしろ、外国の施設の建築が間に合わなくなると嘲笑していたくらいである。1968年のメキシコ・オリンピックや昨年のリオのワールド・カップ開催前のメインスタジアムの完成もその遅れが揶揄され、心配され、ひやひやしていたものだ。然るにその日本で、建築その他の技術が飛躍的に進歩したにも拘わらず、油断からだろうか、考えの甘さのせいか、逆に予定より遅れるという思いがけない狂いが生じてしまった。
私の見るところ、各分野の担当責任者に責任感が欠けていたのではないかということと、各担当部門の最終責任者が明確に決まっていなかったことが混乱に拍車をかけた大きな原因であると思っている。
担当部署にもスポーツがよく分かっているスタッフが少ないようだ。屋根がなくともオリンピックの前年開催のラグビー・ワールド・カップでは問題ない。オリンピックだって真夏開催ということだから、暑くても冷房費のコスト削減などを考えれば当初から屋根なしでも問題がなかったのではないか。そうすれば、経費も大幅に節約できる。今になって考えてみると、どうして最初から屋根付き競技場に拘ったのか、これこそよく分からない。
昨日から今年の駒澤大学公開講座が始まり、今日から受講している。毎週3時間を有益に楽しく気軽に受講したいと思っている。