いま安保法制関連法案が国会に提出され議論が行われているが、昨日今国会で初めて安倍首相と各野党党首との論戦が行われた。テレビ・ニュースで2度ばかり観たが、最近首相は少しずつ自らの言動に自信を抱いたのだろうか、答弁には慣れによるふてぶてしさが表れ、質問をはぐらかす狡さがしばしば見られるようになった。今朝の朝日社説でも、質問に対して真正面から応えずはぐらかすばかりだと厳しく批判している。
懸念されていた点では、岡田克也・民主党代表が集団的自衛権の行使が他国の領土、領海、領空に及ぶ可能性を質問したことに対して、他国で武力行使は行わないと言いきった。また、自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが高まるのではないかとの質問に対しては、「戦闘が起こった時は直ちに部隊の責任者の判断で一時休止し、退避をすることを定めた。戦闘に巻き込まれることがなるべくないような地域をしっかり選び、安全が確保されているところで活動する」と応えたが、そんなにうまく的確に処理できるものだろうか。
日米防衛新ガイドラインで、アメリカはこの首相の発言をどれほど納得し了解しているのだろうか。首相の発言は、戦場最前線の厳しい臨場感や現場を知らない人の発想であり、想像の域を超えていない。どう考えても共同作戦を取っている米軍の要請が、日本の自衛隊の安全地域への派遣ばかりである筈がないではないか。アメリカ側から見れば、それではアメリカにとって、日米同盟新ガイドラインを結んだ意味がないと思う。「米艦に対する武力攻撃があっても日本は武力攻撃しない」とか、「今までと同様に海外派兵は一般に認められていない。外国の領土に上陸して戦闘行為を目的に武力行使することはない」「武力の行使、戦闘行為を目的として海外の領土や領海に入って行くことは許されない」などと、これまでの首相の話はあまりにも楽観的ではないだろうか。この度の安保法制案提案の主旨に関する先日の記者会見でも「日本はアメリカの戦争に‘絶対に’巻き込まれない」と軽々しく「絶対に」などと強調して強い思い込みを表明したことを考えると、果たしてどこまで本気でそう思っているのだろうかとの疑問を抱かざるを得ない。とにかく首相の言葉は、真剣味に欠け軽薄さが付きまとい、安心して政治を委ねる気持ちになれないからもどかしい。
志位和夫・共産党委員長の「過去の日本の戦争は間違った戦争との認識はあるか」との単刀直入の質問に対しては、まともに応えず「アジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。2度と繰り返してはならない。村山談話、小泉談話を全体として引き継いでいる」と肩透かしを食わせたような狡い応え方をしている。また、日本が敗戦の折受諾したポツダム宣言では日本の戦争は間違った戦争だと明確に示したと言及すれば、それは詳らかに読んでいないと逃げる有様である。
安倍首相には一強多弱の盤石な保守支持層に支えられ長期政権の目が生まれてきた。昨日その安倍首相は歴代首相の在職日数で尊敬する祖父岸信介を抜いて史上6番目となった。益々自信が強まり驕りが嵩じる心配がある。
昨日の一連のやり取りを聞いていても、安倍首相は国民に何か隠し事があるのではないかと思えるように感じられた。それは、一昨日橋本明氏が首相の話し方が随分変わってきたし、時によってテンポが変わるとその不安定さについて話されていたが、情緒不安定の表れではないかと気にかかる。その時橋本氏は、首相がアメリカ製の目の玉が飛び出るような高価な特性の薬を服用していると話されたが、或いはそのマイナス面の影響がこのところの多忙による疲労でぶり返してきたのだろうか。あまりメディアでは取り上げないが、私には首相の発言がやや一貫性に欠けぶれるように感じている。このまま突き進むと岡田代表が危惧するように、日本軍最高司令官安倍総理大臣の命令により自衛隊が他国の領土へ進出し、一戦交えることも正夢となる恐れがあるのではないかと密かに心配している。
それでも日本国民は民主主義のルールに則り安倍晋三氏を首相に選び、さらにこれからの日本をリードしていくことを無念にも任せたのである。我々国民はいつまでこの戦争好きな総理大臣に従っていかなければならないのだろうか。つい絶望的な気分に襲われる。