今朝の新聞を見てショックを受けた。ベ平連事務局長だった吉川勇一さんが慢性心不全で亡くなったとの訃報である。享年84歳である。ちょうど1カ月前の先月30日、「ベトナム戦争終結40周年記念講演会」に出かけ、それぞれベトナム反戦運動に参加された4人の方々の話を承った後、吉川さんが最後に感想を述べておられた姿が強く印象に残っている。あの時車椅子で出席され、鼻と口にはチューブを付けてそれこそ悲壮な覚悟で話された。4人のスピーカーを温かい言葉で良い話だったと講評され、今後はこういう機会に自分は出席できないだろうと、ベトナムが終戦40周年を迎えられたことを喜ばれ、最早思い残すことはない、すべてやり遂げたとの強い気持ちを滲ませていたように感じた。1965年に結成されたベ平連が、小田実、鶴見俊輔、小中陽太郎氏ら一面派手で素晴らしいリーダーを得たこともあって、ベ平連活動はかなりの成果を挙げ、活動全般に目を配り裏方として地道にその活動を支えておられた吉川さんの力は無視することができない。
2007年8月4日青山墓地で営まれた小田実さんの葬儀では、小田の代わりはいないと述べていた姿が記憶に残っている。ベトナム戦争は終わり、中心人物の小田実、吉川勇一氏が彼岸へ旅立ち、ベトナム戦争もこれでひとつの区切りを迎えたように思う。私にとっても60年安保闘争と同様、ひとりで戦火のベトナムへ潜入し、平和の大切さを目覚めさせてくれ平和の何たるかを教え、戦い取らねば永久に権力者の言いなりになってしまうことを教えてくれたベトナム戦争は、今も私の心の中に大きな位置を占め、心の支えとなっている。吉川さんのように下積みに徹してあまり表へ出ず活動を支えるのは中々できることではない。そういう意味でも吉川さんは偉かったと思う。
さて、今日午前鹿児島県口永良部島で爆発的な噴火が発生した。噴煙は上空9000mまで立ち上り噴火警戒レベルが5にまで引き上げられ、全島避難指示により島民137人が隣の屋久島へ非難した。箱根も相変わらず噴火の危険が去らず、日本列島全体に地下のマグマがざわついている。これだけ列島に火山噴火が心配されている時に、懲りもせず原発を再稼働しようとする不誠実な連中がいる。九州電力川内原発が7月下旬には先陣を切って再稼働をスタートさせると言われている。地元の了解を得たとは申せ、周辺自治体住民の了解はまだ得られていない。こんな時に近くの火山の噴火が可能性を帯びてきた。それでも再稼働を強行させるのだろうか。