3936.2018年2月21日(水) 明暗/女子団体金と俳人・金子兜太さん死去

 平昌オリンピックも後半に入り、残り競技も少なくなった。最も優勝の可能性の高い女子団体パシュートが行われた。3人が先頭位置を交代しながら一周400mのリンクを6周する女子パシュート決勝レースで、日本は強豪オランダと抜きつ抜かれつの接戦の末これを破り、今大会3つ目の金メダルを獲得した。メダル獲得数も長野大会の10個を凌駕して過去最高の11個となった。

 さて、今朝新聞フロント・ページを見てびっくりした。「金子兜太さん死去」の記事が掲載されていたからである。金子さんは昨20日に亡くなられた。享年98歳だった。

 なぜ驚いたかと言うと、一昨19日に時事通信社が金子さんの死亡記事を配信し、お粗末にもその僅か1時間後に誤報であったと記事全文を取り消し謝罪するハプニングがあったからである。あまりにも拙速だったと思っていたところ、1日経って今度は本当にその金子さんが亡くなられたのである。面食らう話である。時事通信社の誤報は早とちりだったが、笑うに笑えないエピソードになってしまった。

 金子さんは戦後日本を代表する俳人だったが、東大卒後に日本銀行に就職した経済人だった。戦時中海軍主計中尉としてトラック島に赴任し、同地で終戦を迎えた。実は4年前に拙著「南太平洋の剛腕投手」の執筆中にトラック島へ取材で出かけた折、金子さんが戦後トラック島で抑留されたことを知った。話題として採り上げようと考えたこともあったが、本題主人公トラック島の大酋長とは接点がなかったので、取り止めたことを想い出す。金子兜太さんは私にとっても忘れられない人だった。トラック島で15カ月の捕虜生活を終えて帰国船上で詠んだ句「水脈(ミオ)の果て 炎天の墓碑を 置きて去る」は金子さんの代表句として知られ、戦死した部下の魂をトラック島に残したまま島を去る金子さんの辛く悲しい気持ちをよく表した鎮魂の俳句であると思う。それが、悲惨な戦争の体験者として不戦を訴え続ける気持ちとなり、晩年まで政治や国際情勢に関心を抱き、社会の行く末を案じていた行動力の原点になったと思う。安全保障関連法案への反対が強かった2015年には、「アベ政治を許さない」と揮毫したことでも知られる。

 1962年に同人誌「海程」を創刊し、その後主宰となったが、高齢と健康を理由に今年9月での廃刊を決めていた。しかし、一足お先に冥界へ行かれてしまった。心よりご冥福をお祈り致したい。    合掌

2018年2月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com