所属するNPO法人JAPAN NOW観光情報協会が毎月開催する観光セミナーの今日のテーマは、イギリス在住の気鋭の映画監督兼俳優・梶岡潤一氏による自作短編映画「インパール1944」に関するものだった。インパールと言えば、ビルマ戦線で最大の犠牲者を出し、今なお戦没者の遺骨はほとんど母国へ奉還されていない最悪の戦いである。現役時代慰霊団でビルマを訪れるたびにインパールの厳しい戦いについて日本軍の兵隊さんから苦労話を聞かされたものである。インパールへの道はアラカン山脈を超え、ビルマ・インド国境に沿って進まなければならない山岳地帯の難行を強いられる。行軍する軍隊に武器、食料の兵站が追い付かず、兵士にとっては悲惨な戦いとなった。
梶岡氏はロンドンに在住しておられるが、本作品のキャスト募集に応じてインドへ出かけて撮影を待っていたが、いつまで経っても監督が姿を現さず、そのうち代わりに演出をするようになったと夢みたいな話だった。このようにシンデレラ・ボーイの梶岡氏だが、この作品にかける決意と意欲は並大抵のものではない。狙いは、「平和」「和解」と「創生」ということのようである。梶岡氏は、インパールで遭遇した日本兵とイギリス兵が戦後70年後に和解し、それを乗り越えてお互いに新たに生きて行くということを考えておられるようである。ところが、激しいビルマ戦線を題材に採り上げながら、この作品を断片的に観た限りでは、ビルマのイメージがあまり浮かんで来ない。
映像を交えた講演後、梶岡氏にビルマ側からの視点が感じられないと率直に質問した。それに対して梶岡氏はイギリス兵と日本兵の和解をインパールの地で果たすことに主眼を置いたと言われ、確かにビルマサイトの雰囲気は表れていないことを認めておられた。残念ながら今後ビルマ側から戦争を描写する気持ちはなさそうな印象だった。第2作は「命のビザ」で知られる外交官・杉原千畝を主役に取り上げるようだ。
戦争を知らない45歳の梶岡氏が、インパールの戦いをビルマの視点に立って描くことは難しいかも知れない。だが、ことはインパールであり、ビルマ戦線事情を考慮すれば「画龍点晴を欠く」そしりは免れない。梶岡氏には、ビルマについて調べるには格好の人物として田辺寿夫氏を推薦し名刺のコピーと、僭越ながらビルマ旅行について書いた拙著「新・現代海外武者修行のすすめ」を差し上げた。インパールを描く以上、少なくともビルマ側から描く気持ちだけはいつまでも持ち続け、いつの日にか、「正伝インパール戦争」を描いて欲しいと願っている。