2986.215年7月17日(金) 新国立競技場建設計画は仕切り直し

 台風11号が四国、中国方面に上陸し、熊野川が決壊して田畑に多くの被害を出している。関東地方も天候は荒れ模様で、11時頃外出した時は猛烈な風雨に遭い、ズボンとスニーカーはびしょ濡れだった。

 ところで、昨日の安保関連法案の衆議院での強行採決事件に続き、今日も大きな政治決断が下される事件があった。昨今喧々諤々の議論が交わされていた新国立競技場建設問題が、安倍首相と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相との会談の結果、現在進められている現行案を見直し、新たな計画を作成することになったのである。当初1300億円の見積もりだった工事費が2520億円に大きく膨らみ、あまりにも高額な投資額が問題となって、一般にも見直し論が浮上してきたことから、両者が会談した結果、原案破棄、新計画案の作成との結論が出された。

 問題は工期が果たして2020年のオリンピックまでに間に合うかどうかと懸念されていた。急げば何とか間に合うが、その前年に開催予定のラグビー・ワールドカップには間に合いそうもないということから、前日本ラグビー協会会長だった森さんのメンツを立てて、見直し論が遠ざけられていたようだった。今日の会談で森さんが一歩譲り、ラグビー会場を他の競技場で開催すれば新国立競技場はオリンピックまでに間に合わせれば良いということになり、森さんがラグビー・ワールドカップ開催を新国立競技場に拘らないということで見直し論に同意した。森さんとしては一部で戦犯呼ばわりされるのが余ほど腹に据えかねたと見え、元々競技場のデザインは気に入らなかったなどと鬱憤晴らしのような発言をしていた。

 初めてスポーツ・キャスター・佐々木信也さんが私を衆議院議員会館の森事務所へ案内してくれ、高校の後輩でラグビー部員だったと森さんに紹介していただいた時、森さんは最初に「日本ラグビー・フットボール協会会長」の名刺を差し出された。また、「2019年ラグビー・ワールドカップ」のステッカーがマイ・カー車内にも貼ってあるが、それも森喜朗事務所からいただいたものである。それほどラグビーにのめり込んだ森さんである。

 森さんの無念の想いが伝わって来る。

 それにしても初期のドラフトから資金計画に至るまで、やることなすことすべて素人仕事である。責任の所在がこれほどはっきりしない国家プロジェクトはこれまで聞いたことがない。

 見直しが決まった以上、一日も早く新しい計画を作り、工事に着工してオリンピックに間に合わせて欲しい。いつまでだらだらしているようでは、オリンピックの主役である選手たちに気持ちが入らないのではないか。

 折も折モスクワで開催された男子フェンシング世界選手権で今日太田雄貴選手が優勝した。フェンシングで日本人選手がオリンピック、及び世界選手権で優勝したのは太田選手が初めてである。これを機会に来年のリオ大会で好成績を上げ、リーダーシップを発揮して後輩たちを東京大会まで引っ張って行って欲しいものである。

 さて、科学界、経済学会で実績を挙げた2人の日本人が亡くなられた。ひとりは、2008年ノーベル物理学賞を受賞された南部陽一郎氏である。享年94歳だった。

 気になるのはもうひとりの経済学者、青木昌彦・スタンフォード大学名誉教授である。青木氏は難解な「社会の様々な制度や慣習が経済システムに与える影響を多元的に解き明かす『比較制度分析』」という新しい分野を開拓したと言われ、ノーベル経済学賞の有力候補者と見られていた。ただ、個人的に気になっていたのは、東大時代に全学連書記長だった清水丈夫さんらと60年安保闘争でともに活動しながら、その後社会主義の計画経済に疑問を抱き、近代経済学派に転向して、留まった同志に対して裏切るように時流に乗れない遅れた人たちと批判したことである。その時、自らは地道な運動から逃げたうえ残った同志・清水丈夫さんらを公然と批判したのである。清水さんは今も表に出ずに今世紀中の世界革命を目指して地道に活動している。どちらが真っ当だったかは別にして、人間的にはとても青木氏を尊敬する気持ちになれない。青木氏は享年77歳だった。

 60年安保闘争から55年がたち、時は流れ世の中が変わっていることを痛感する。

2015年7月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com