3783.2017年9月21日(木) 世界遺産・エストニアの首都タリンへ

 ホテルから送迎バスで成田空港第2ターミナルへ来てみると第1ターミナルと変わらない立派なロビーだった。ツアーは33人の参加者で、これでは添乗員も大変だと思う。旅行会社で働き多くの海外団体旅行を企画、添乗した経験があるくせに、自分自身旅へ出るとなると団体旅行よりとかくひとりで旅する傾向がある。今度のツアーはバルト3国とポーランドを訪れ、しかもポーランドではアウシュビッツとクラクフを効率的に訪れるので、個人では中々このようにうまく旅行出来ないのでこれに決めて参加したものだ。

 フィンランド航空機はほぼ満席状態でヘルシンキまで直行した。ヘルシンキもほぼ20年振りである。流石に予想通りやや寒くセーターとジャンパーを機内で着込んだ。エストニアのタリンへ渡るシリアライン「ヨーロッパ号」出発まで時間があったので、ヘルシンキ市内観光を楽しんだが、かの有名な元老院広場の高台にある聖教会とアレクサンドル2世像、市電が懐かしい。

 シリアラインについては、20年前にストックホルムから1泊2日の船旅を楽しんだことを懐かしく思い出す。船では特別の席はなく、船内で簡単な買い物をしたり、カフェで軽食を取ったり、公的なスペースで同行の仲間と四方山話を楽しんでいた。その中でも84歳と80歳のご兄弟がご夫婦で参加され、しかも奥さんがそれぞれ足の不自由なのにも拘わらず元気なのには驚いた。自分もあまり老け込んだ発言をしないよう注意しなければいけない。

 今日はバルト3国の最初の国エストニアのタリンで最初の夜を迎えることになった。明日から楽しみが始まる。

 ところで、ヘルシンキへの飛行中機内で今朝の日経紙を読んでいるとビルマのイスラム系民族ロヒンギャ弾圧について、日経記者のアウンサンスーチー国家顧問へのインタビュー記事が掲載されている。スーチーさんは国連を始めとして国際社会から大分非難されているが、軍部とビルマ国民との間で難しい立場にいることが何となく分かる。軍部は、外からの批判には一切お構いなしで自分たちの思うようにしているようだし、彼女自身がイスラム系ロヒンギャに救いの手を差し伸べれば、90%が仏教徒の国民から非難されることは目に見えている。元はと言えば、ロヒンギャがビルマ・ラカイン州に定着するようになったのは、イギリス支配時代の19世紀後半に現バングラディッシュから旧インド人を移住させたことに端を発している。ビルマとしては彼らを宗教的にもビルマ人として受け入れられず、イギリスから独立を勝ち得ても彼らにビルマ人として国籍を与えなかった。それが今日「ビルマ国籍も与えず」との、ロヒンギャ寄りの考え方が国際社会に振り撒かれていることから、殊更ビルマ政府の対応が非民主主義的と強く非難される原因となっている。本当のところは中々分からない。だが、難民となったロヒンギャの言い分だけが通っていることも間違いないようだ。非難する前に、何が正しいのかを精査し、そのうえでロヒンギャの待遇をどう守るのか、ビルマ軍もこの関わり合いから逃げるわけには行かないのではないだろうか。

2017年9月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com