3752.2017年8月21日(月) 高浜虚子、母校湘南高の甲子園初優勝を祝福

 今や昔日の面影がなくなった民進党の党代表選挙が9月1日に行われる。その日は選りによって台風が襲来する「二百十日」に当たる。代表選も台風並みの波乱含みだろう。蓮舫代表がすっきりしない能書きを述べて無責任にも辞任を表明した後を引き継ぐ跡目争いである。

 告示に際して立候補したのは、予想通り前原誠司・元外相と枝野幸男・元官房長官である。前原氏の人間性、行動など無責任な政治責任については、言いたいことが山ほどある。人間的にまったく信用出来ない。まず朝鮮国籍の女性から資金提供を受けたという選挙違反の前科があることと、2009年民主党政権成立に伴って国土交通相に就任した時、選挙公約で約束したとして自民党が建設を決めた八ッ場ダムに反対を唱えたが、大臣を辞めるやダム建設の動きが再燃しても一向に取り合おうとしなかった不誠実な態度、そして観光庁長官に同級生を任命したことなど公私混同も甚だしかった。いくら表面的に納得させるようなことを言っても人間的にとても信用出来ない。こういう人物が野党第1党の代表選に立候補しようとしているのだから、今以って民進党の浄化作用は信用出来るものではない。

 前原、枝野両氏の主張は大分隔たりがある。野党共闘、原発、憲法改正などでは意見が対立しているようだ。どちらが代表になるにせよ、その後の民進党の歩む道は党内分裂の危機を孕んでいて険しい。自民党が地盤沈下している時でもあり、民進党にとっては盛り返す絶好の機会であるが、以前のようなフレッシュさと実行力が感じられない。これではまだ当分の間自民党をのさばらせることになるようだ。偶々世論調査を見ていて自民党が支持率を回復したことが書かれていた。現状は確かに自民党に大きなミステークがなければ、自民党には順風が吹いているようだ。いつになったら真剣に国民のことを考えてくれる政治家、政党が現れるのだろうか。前途は明るくない。

 さて、今日の朝日夕刊に5段に亘って母校湘南高校の昭和24年甲子園初優勝に因んだ記事が掲載されていた。

 「虚子から球児へ短冊がつなぐ縁」、「31回大会Vの湘南 プラカード係の女性と交流」との見出しの下に当時鎌倉市内に住んでいた俳人高浜虚子が、湘南の優勝を殊の外喜ばれお祝いに野球部の田中孝一主将に句を詠んで贈ったことに纏わるエピソードを採り上げている。その後湘南のプラカードを掲げて行進された女性と湘南との交流が続けられ、今甲子園で開催中の高校野球大会の間開かれている「高校野球特別展」でエピソードが復活したことを紹介している。

 実は偶然にもこの記事と同じストーリーを私も3年前に上梓した拙著「南太平洋の剛腕投手」に採り上げ書いている。執筆していた時、これほどまでに母校の優勝を地元の多くの人々が喜んでくれたことを感慨深く思ったものである。こういう形でパンチの効いたエピソードをさりげなく紹介していただいたことを改めて嬉しく、また有難く思っている。

 その高浜虚子が贈ってくれた名句とは、「秋風や 最美の力 唯盡す」というものである。

2017年8月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3751.2017年8月20日(日) トランプ政権内のゴタコタ

 東京に太陽が顔を出すことが少なく、8月に入って今日まで20日間長雨続きである。昨日も午後には雷雨が激しいとの予報があったが、傘を持参して補聴器の調整に行って帰っても雨が降る様子が見られなかったので、漸く晴れ間が現れると思っていた。ところが、夕刻5時ごろになって一転掻き曇った空から突然雨粒が落ちて来たと思う間もなく、ガラス戸を激しく叩く物音に外を見ると雹が落ちて来た。雨戸を閉めても雹は激しく雨戸を叩きつけて来る。テレビ・ニュースでは、世田谷区に激しい雷雨が襲来したと伝えていた。多摩川の花火大会が開催される日だったが、結局中止になった。東京と同じように雷雨が襲来した横浜の花火大会も途中で取り止められたという。

 あまり長い時間ではなかったが、これほど激しく雷鳴が轟いたのは実に久しぶりである。

 さて、相変わらずアメリカ・トランプ政権がガタガタしている。白人至上主義を晒して批判を浴びているトランプ大統領が、18日昨年の選挙戦以来トランプ政権誕生のため選挙参謀となってトランプ氏を支えてきたバノン首席戦略官の更迭を発表した。保護主義のバノン氏の戦略に乗って、大統領選以前から「アメリカ・ファースト」を打ち出し、保護貿易や移民排斥を始めとしてイスラム民族の入国禁止や、メキシコとの国境に壁を建設するなどの差別政策を打ち出し、そのうえ地球環境保護のパリ協定からの離脱、TPPからの脱退など、国際世論から厳しく非難されている。その戦略を打ち出したバノン氏を解任したのは、政権内に意見の対立があったからに他ならない。だからと言って保護主義者のバノン氏を追放してもトランプ大統領自身が同じ保護主義者であり、多少リベラル派の評価が上がるにせよ、政権外から依然厳しい見方は変わらないだろう。

 政権内の幹部を2月にフリン大統領補佐官、7月にプリーパス大統領首席補佐官とスパイサー大統領報道官、そして今月バノン首席戦略官と立て続けに更迭することによってトランプ政権存立の基盤はかなり弱体化したと見るべきだろう。節操のないホワイト・ハウス内人事の迷走が国民の間に不安を感じさせ、一部にはトランプ大統領が弾劾によって罷免される可能性まで示唆されている有様である。

 北朝鮮のミサイル発射問題などで緊張感を強いられる時期に、アメリカはいつまでも政権内で揉めている場合ではないと思う。差別問題は別にしても、大統領は毅然として自分なりの信念を貫けば「アメリカ・ファースト」の下にそれはそれで国が割れるような対立が生じる問題ではないと思う。いずれにせよアメリカ政府の言動から当分の間目が離せない。

2017年8月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3750.2017年8月19日(土) 本土無差別爆撃の無慈悲なビデオ

 録画したビデオの内、今日も戦争・終戦関連番組50分物をじっくり観た。去る12日にNHKが放映した「本土空襲全記録~無差別爆撃へ~」という終戦間近い時期の日本本土への米軍機空襲の画像である。日本人にとっては心が痛む画面ばかりである。アメリカの公文書館秘蔵の画像を初めて外部に公開したものだそうだが、爆撃機にセットされたガン・カメラというもので本土を攻撃する際に無慈悲にも空からカメラで日本の地上を徹底して撮りまくった動画である。米空軍は当初拠点爆撃を目標にしていたが、次第に日本のすべてを破壊するべく出撃した攻撃的な姿勢が表れている。工場、駅、街、飛行場、街の風景など日本の空中写真がすべてカメラに収まっている。日本の手の内を読まれているとも言えよう。とても当時の日本が太刀打ち出来るものではなかった。

 取材班はこの貴重な資料を基に米軍の「本土空襲マップ」を再生してみた。結局1944年7月のサイパン陥落後、米空軍がサイパンをB29爆撃機の基地に使用してから日本本土への空襲が激しくなった。同年11月東京郊外の中島飛行機製作所に対して爆撃が開始され、以降全国各地へ空襲が行われた。本土で空襲を実体験した人たちが体験談を話されていたが、私自身にも似たような実体験がある。この番組でも列車や駅は次第に攻撃の大きなターゲットになっていったと説明されたが、戦時中房総に住んでいた頃度々裏山の防空壕へ避難した。忘れられない強烈な印象は、自宅2階から目の前で見たアメリカ空軍機による房総西線(現内房線)列車銃撃シーンである。実際走行中の列車が低空飛行した戦闘機に射撃されたシーンは衝撃的だった。しかもこの銃撃シーンを同じ房州の勝山小学校に通学し、今なお親しくしているたった1人の同級生、笹生嵩夫くん(安房高~一橋大~住友商事)も見ていたと聞いてびっくりした。

 日本軍はサイパン陥落後制空権を失い、敗戦へ向けて一直線で突き進んだ。1945年3月10日の東京空襲を含めて全国で46万人もの方々が落命された。全国に落とされた焼夷弾の数は、実に2040万発で、銃弾は850万発だったそうである。

 冷静に分析すると竹槍作戦の日本にはとても勝ち目はなく、アメリカ軍は‘There are no civilians in Japan’との考えの下に軍人だけでなく、非情にも女性、年寄り、子どもを含めた全日本人を攻撃ターゲットにしていた資料まであった。

 終戦記念日だけではなく、日本人としては戦争の歴史と勃発の原因、原発投下と被災者、侵略し戦禍を与えた国々の国民、戦没者などにもっと関心を抱かなければならない。それこそが、今後平和の誓いとなって戦争をなくすための運動に繋がって行くと思う。

2017年8月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3749.2017年8月18日(金) ポーランドで揺れる英雄ワレサ氏の評価

 今日スペイン・バルセロナ市内の繁華街ランブラス通りを1台の車が人込みの中へ突っ込み13人が亡くなった。ランブラス通りは中々洒落た通りで市内でも多くの観光客が立ち寄る場所でもある。その人の中へ車が飛び込むとは、嫌でも数日前の白人至上主義のデモ騒ぎがあったアメリカのシャーロッツビルや、ロンドン橋事件、ニースなどを想い出す。意外にもこれまでスペインではこの種のテロ騒ぎはなかった。これからヨーロッパではもっと広域的にテロを警戒しなければならなくなるのだろうか。このバルセロナ事件とイスラム国(IS)との関係はまだはっきりしないようだが、ISが力を失ったと言われていただけに、彼らが再び勢力を盛り返したとしたらまた厄介なことになる。テレビで映し出されるバルセロナ市内の街頭風景を観ていると大分前のこととは言え、そこここに馴染みのある風情を漂わせていて懐かしい。いつになったらこういう狂信的なテロがなくなるのだろうか。

 さて、来月ポーランドを旅行するので、同国の最新情報があれば出来る限り目を通すようにしている。その中で少々気になったニュースがある。去る7日付朝日朝刊に同社ウィーン支局長のワルシャワ通信「東欧民主化 根拠なき陰謀論」という気になる記事を読んだからである。

 同記事によれば、7月にアメリカのトランプ大統領がヨーロッパ初訪問の際、ノーベル平和賞受賞者でもあるポーランドのレフ・ワレサ元大統領がゲストとしてアメリカ側から紹介された時、テレビ放映でその様子を知ったワルシャワ市内には大ブーイングが起きたそうである。なぜだろうかというのが、率直な疑問である。ワレサ元議長と言えば、自主労組「連帯」のリーダーであり、東欧社会主義世界に風穴を開け、世界を震撼させた革命を指揮したポーランドの現代の英雄である。そのワレサ元議長の行動によってポーランド民主化の扉は開いた。そのワレサ元議長が、今では現政権から敵視されているというのだから、俄かには信じがたい。

 1980年代社会主義政権と民主派の対話により体制転換を実現した。だが、ワレサ氏主導のリベラルな政権は、対立した民族主義的な勢力から「過去が清算されず、旧体制のエリートが生き残った」と疑われた。そこにはどうも陰謀論が見え隠れするようで、ポーランド国内にはワレサ氏は秘密警察の協力者だったとのスパイ説まで囁かれているというから恨みは根深い。真実はどこにあるのか、世界平和に貢献したと見做されたからこそノーベル平和賞を授与されたのではないか。ワレサ元議長の行動と実績はそんなに薄っぺらなものだったのだろうか。私情としてはあくまで噂であって欲しい。ポーランドへ行ったらガイドさんにその辺りの噂の真偽について尋ねてみたいと思っている。

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3748.2017年8月17日(木) チェ・ゲバラ50回忌記念写真展を鑑賞

 キューバの英雄チェ・ゲバラ没後50年を記念して「写真家チェ・ゲバラが見た世界」という写真展が、9日から恵比寿ガーデンプレイスで開かれている。開催前夜の8日にプレ・ビューがあり、キューバ観光情報局の池上和徳氏よりお招きいただいていたが、急用で出られなくなってしまった。後で聞くとその場にはゲバラの子息でチェ・ゲバラ研究センター所長のカミーロ・ゲバラ氏も出席されたという。惜しいことに氏とお話する千載一遇のチャンスを逸してしまった。

 写真展にはゲバラが撮影した写真が約240点展示されると聞いていたので、何とか見てみたいと思い、今日会場へ出かけた。確かにたくさんの写真が展示されていたが、あまりサイズが拡大された写真がないので、少々見にくかったというのが実感である。ゲバラは写真撮影に興味があり、趣味として撮影していたので、彼らしい興味に基づいて撮られた工場や遺跡、建設現場の写真などが随分多かった。革命後広島を訪れた時の写真もあるが、革命前に訪れたメキシコで撮った写真の中に、世界遺産チェチェン・イッツァや旧文部省教員海外視察団で近くを訪れたメキシコ市郊外のポポカペトロ山の風景が懐かしく感じられた。

 今なおキューバ人の心に敬愛の念を呼び起こし、逝ってなお彼らから慕われるゲバラの存在感の強さに改めて敬服した次第である。

 さて、このところアメリカと北朝鮮のお互いに相手国を罵る舌戦がヒートアップしていたが、金正恩委員長がしばらく愚かなアメリカの出方を見ると一歩退いた発言をしたことを受けて衝突のリスクはやや遠のいた。

 ところが、アメリカ国内では別の問題が火花を散らしている。最近バージニア州シャーロッツビルで起きた衝突事件を巡って、人種差別を容認するかのようなトランプ大統領の発言が再び行われ、それをアメリカ軍幹部までが非難する異例の事態になっている。オバマ前大統領が非難し、同じ共和党のブッシュ親子元大統領も厳しい見方を示している。

 このトランプ大統領の白人優位説的考え方では、どこまで行っても結局原点、つまり異民族排斥主義に立ち戻るように思う。他民族国家アメリカの矛盾が表面化し、白人至上主義に突き進むのか、或いは良識的に人種差別を容認しない平等の道を辿るのか、アメリカ国民の良識と将来像が見えて来る。ここはアメリカ国民の良識を期待したい。

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3747.2017年8月16日(水) インパール作戦司令官・牟田口中将が戦犯ではない?

 昨日の終戦記念日の前後にテレビで中々秀逸な戦争関連番組が放送された。そのひとつに昨夕NHKからスペシャル番組「戦慄のインパール」が放映された。副題として「最も無謀な作戦はなぜ」として3万人もの戦死者を出した作戦が、第15軍方面軍内に反対意見もあった中で、なぜ計画、実行されたのかという点に焦点を当てていた。インパール作戦については、不十分な兵站の作戦自体の失敗、退却計画の失敗など数多くのミスが指摘されている。ビルマ慰霊団でビルマへ戦友会の方々と訪れていた頃、しばしば牟田口廉也第15軍司令官の悪口を耳にしていた。彼が総指揮を取っていた中部高原の避暑地メイミョーも度々訪れた。新聞の番組紹介文に牟田口中将に仕えた少尉の回想メモについて、証言は深く重いものだと書かれていた。

 昔を知るビルマの人々の様子も良く描かれて、中々味のある深刻なドキュメンタリーになっていたと思う。

 ただ、どうしても日本人にとって理解し難いのは、3万人もの兵士を死に至らしめ、白骨街道と呼ばれたようにその内の6割が退却時に亡くなった。にも拘わらず、責任を負うべき作戦の総大将・牟田口廉也中将が戦後戦犯に問われることもなく、戦後も自己弁護に終始してのうのうと生き、1966年77歳で亡くなったことである。今日でも責任者の地位にありながら、言い訳三昧で他に責任を被せる不誠実な人物を見るが、牟田口の戦中、戦後の所業は、インパール作戦で亡くなった兵士にとってあまりにも極悪な裏切り行為ではないだろうか。

 さて、去る12日アメリカ東部バージニア州シャーロッツビルで、南北戦争時に奴隷制存続を主張して敗れた南部のロバート・リー将軍像撤去に反対する白人至上主義者らが、黒人の権利擁護や差別撤廃を訴えるグループと衝突したところへ白人主義者が車で突っ込み死傷者を出す騒ぎとなった。これを巡りトランプ大統領が非難したが、当初人種差別を容認するかのような発言をしたことに非難が高まっていた。

 そして事件から2日後の一昨日14日になって、余りにも批判が集中したこともあって、KKK(クー・クラックス・クラン)やネオナチズムら白人至上主義者の団体に対して、暴力を引き起こした団体は犯罪者で残忍な悪漢だと名指しで非難した。ところが、この発言が遅すぎるとメディアから指摘され、これに対して産業界にも抗議の声が広がり、トランプ政権と良好な関係を保っていた経済人らからもトランプ大統領を非難する声が上がっている。

 トランプ大統領は大統領選中から異民族や移民に対して排外主義的な発言を繰り返し、意図的に露骨な差別を口外していた。今度の発言は思わず本音を口に出したということだろう。

 14日の取り繕い発言で事態が収束したわけではない。今後も同じような発言が繰り返されることを憂慮している。

2017年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3746.2017年8月15日(火) 72年目の終戦記念日

 今日は72年目の終戦記念日である。韓国では「光復節(独立記念日)」、北朝鮮では「祖国解放記念日」と呼ばれ、国の祝日とされているが、日本ではどういうわけだか、今以ってこの日は祝日に制定されていない。敗戦は祝うべきではないとでも考えているのだろうか。

 戦争が終結したのは、疎開先・房州の国民学校初等科1年生の時だった。戦争の記憶ははっきり残っているが、72年前の今日の玉音放送についてその当時は記憶になく、幼かったせいもあり戦前と戦後の境目がどうもはっきりしない。

 今日天皇・皇后両陛下ご臨席の下に日本武道館で行われた全国戦没者追悼式をテレビで観ていた。厳かに式典は執り行われ天皇も、安倍首相も平和への誓いをされたが、天皇の願いと首相の願いはやや方向が異なるのではないかと気になっている。天皇は「反省」という言葉を今年も述べておられた。一方、首相はアジアへの侵略、加害という言葉を今年も加えることはなかった。

 折も折元共同通信社の知り合いから昨晩メールで、天皇陛下のご学友とされる橋本明氏が一昨日亡くなられたと知らせてもらった。天皇に関する著書もあり、専らそのことでいろいろ話題になられる方である。2度ほどお会いしてお話したことがあるが、印象としては、ご自分の経歴をひけらかすような方ではなかったが、従弟の橋本龍太郎元首相については饒舌だった。昨年8月天皇はご自分の年齢を考えて肉体的に負担の重い天皇職を譲りたいとのお気持ちを表明されたが、同年齢の橋本氏のご逝去を知り、さぞ落胆されるのではないかと思う。

 終戦記念日に当たり今年も保守政治家らの靖国神社参拝の流れは衰えることはなかった。日報紛失問題で物議を醸しながら閉会中審査にも出なかった極右の稲田朋美・元防衛相も今日ばかりは意気揚々と参拝していた。

 一方で、アメリカと北朝鮮のグアム島射程云々のミサイル発射に関する舌戦が相変わらず激しい。グアム島ではそれなりの備えは怠りないようだが、観光にも影響しかねない。この行方は、一体どうなるのだろうか。

 さて、わが家の庭にも朝から蝉の鳴き声が聞かれるようになった。しばらく聞いていると何となく情緒が感じられ、ひたすら懐かしく、子どものころ随分蝉を捕まえた記憶が蘇ってくる。1週間の儚い命だが、夏の風物詩として蝉は格好の話題を提供してくれる。

 偶々昨日の朝日朝刊「天声人語」に、芭蕉の名句「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」が採り上げられている。この蝉はどういう種類の蝉だろうかとの疑問を抱いて斎藤茂吉や小宮豊隆らもこの時期に現地を訪ねて推察している。結局素人には分からず、昆虫学者が時期や標高からするとアブラゼミ説よりニイニイゼミ説に理があるという話に落ち着いている。蝉がこれから減る兆しがあるのは、成長に欠かせない軟らかくて湿った土壌が細った場合のようだ。今後蝉が生き残れる自然環境が残されるだろうか少々気になる。その点で蝉が鳴く環境にあるという点では、有難いことにわが家の周囲にもまだ自然が残されているということでもある。

2017年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3745.2017年8月14日(月) 水落敏栄・文部科学副大臣から電話をいただく。

 夏の午後のひととき、妻が訪れていた二男家族と買い物に出かけている間に突然電話のベルが鳴った。どなたからかなと耳を澄ますと、何と水落敏栄・文部科学副大臣からだった。

 去る8日甲子園の高校野球開会式で、水落さんが林芳正・文部科学大臣に代わって挨拶されたのを偶々テレビで観てびっくりするとともに、懐かしさのあまり直ぐに手紙を認め、拙著「南太平洋の剛腕投手」と一緒に郵送したところだった。拙著には水落さんらとともに厚生省の戦没者遺骨収集事業に関わった当時のことを綴ったが、水落さんもこの事業がご自分の原点だと言っておられ、殊更拘りがあるようだった。私自身にとってもひとつの大きな転機となった事業である。水落さんは現在日本遺族会会長も兼ねておられるので、この原爆投下や終戦記念日を挟んだこの時期は特別忙しいと仰っていた。明日の終戦記念日記念式典に出席の後、サハリンの北緯50度線に20年以上も前に建立したサハリン地区の戦没者慰霊塔へ参拝に出かけられるという。

 大変懐かしがっていただき、後日連絡するのでぜひお会いしたいとお話いただいたが、私も何年振りかでお会いすることを楽しみにしている。

 さて、まったく偶然な話で驚いたが、水落さんとサハリンの話をした後の今夕のNHK特集「知られざる地上戦」と題する番組で、戦争直後のサハリンにおける厳しかった地上戦の実態を伝える番組が放映された。これを観て終戦直後のサハリン(樺太)で争われた日ソ地上戦の残酷な事実を知った。8月15日以降7日間もソ連軍と日本軍との間で戦闘が継続され、圧倒的なソ連軍の戦力に追い詰められ日本人一般市民を含む5千人もの犠牲者を出した悲惨な状況を証言していた。

 どうして天皇の終戦玉音放送があったにも拘わらず、当時の樺太で終戦、武装解除という当然の処置がなされなかったのかという疑問を、生存者の証言や日ロの公式資料を基に分析していた。最大の原因は、運悪く終戦前日に樺太最大都市の豊原(現ホルムスク)で停電があり、終戦の詔勅が日本人住民に伝えられなかったことと、札幌第5方面軍が樺太第88師団にソ連軍の北海道侵略を恐れて、意図的に「樺太死守」を伝えて樺太部隊に戦斗継続と玉砕を求めた経緯があったようだ。

 それより何より日本が全面降伏した直後にソ連が樺太や北方領土を侵略して、今日まで領土を占領している横暴ぶりがこの厳しい現実の背景にある。その内北方四島でも同じように日本人に乱暴した旧ソ連軍の残虐行為が焙りだされるのではないだろうか。

 サハリンには、1992年に訪れ北緯50度線の旧樺太南北国境線を訪れたことがある。その時豊原を訪れ小高い丘から日本人避難民が船出したとされる港へ降りて行ったことがある。

 あまりサハリンについてご存じの人はおられないが、豊原の日本人電話交換手が「ソ連兵がやって来ました。皆さん、さようなら」と涙ながらに電話を切った悲劇はよく伝えられている。

 水落さんも慰霊碑建立のため、何度も豊原へ出かけたと言っておられた。今度お会いしたらサハリンの話もしてみたい。

2017年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3744.2017年8月13日(日) 世界陸上で日本有終の美

 今月4日からロンドンで開かれていた世界陸上選手権は今日閉会式を迎える。昨晩と今朝の2種目で銀メダル1つと銅メダル2つを獲得した。まず、今日早暁400mリレーで日本チームが3位に入り銅メダルを獲得した。今大会初のメダルである。昨年のリオ・オリンピックでも400mリレーで、堂々銀メダルを獲得して実力をつけてきたが、今大会は若干幸運も手伝った。

 その幸運とは、優勝候補筆頭のジャマイカ・チームの途中棄権である。ジャマイカは4人のランナーが揃いも揃って100m9秒台である。しかもアンカーはこのレースを最後に陸上界から引退を宣言していたオリンピック100m3連覇の英雄ウサイン・ボルト選手である。だが、そのボルト選手がバトンを受けて走り出してまもなく脚に痙攣を感じたように走れなくなり、コース上に倒れ込んでしまった。ジャマイカは途中棄権とされ、4番手にいた日本チームは運良く3着でゴールへ駆け込んだ。リオ・オリンピックの銀メダルに続く栄誉である。

 金メダルは地元イギリス、銀はアメリカが獲得したが、優勝を狙っていたであろうジャマイカにとっては不運だったという以外にない。同時に有終の美を飾ることが出来なかったボルト選手にとっても、不運に付きまとわれたロンドン大会だった。10年以上に亘って世界陸上界に君臨していたボルト選手は、今大会では100mで銀メダルに終わり、200mは不出場だったので結局金メダルを得ることなく、世界の陸上界から退場することになった。

 もうひとつメダリストを生んだ競技は、男子50㎞競歩でリオ・オリンピック銅メダリストの荒井広宇選手が銀メダルを、小林快選手が銅メダルを獲得した他にも、もう1人の丸尾知司選手が5位に入賞した。

 今回の2つの種目の3つのメダルはそれぞれ殊勲甲と言えよう。

 それにしても日本はかつてのお家芸だった男女マラソンは惨敗したが、反面短距離と競歩が強くなったものである。400mリレーは、予選出場選手が2人も入れ替わる中で、決勝では日頃の実力を発揮してメダルを獲得出来たことは素晴らしい。また、競歩は近年急速に力をつけてきたが、これからもその活躍を期待したいものである。

 今回の世界陸上は真夏の炎天下で行われ、暑さを避けるために夜間と明け方に開催の競技が多かったようだ。3年後の今ごろ開催される東京オリンピックの気温を考えるとぞっとする。すでに暑さ対策を検討しているようだが、高温に加えて湿度の高い日本の気象条件の中で、欲深いIOC(国際オリンピック委員会)は、何を考えているのか、FIFA(国際サッカー連盟)に横車を押されてよくもスポーツの祭典をこんな最悪の時期に行うものだと思う。

2017年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3743.2017年8月12日(土) 変わりつつある日本語の解釈

 思想史家で堅実な評論を書かれる渡辺京二氏が、今朝の朝日新聞紙上に女優酒井若菜さんから先週寄せられた質問に応える形で回答している。

 渡辺氏は10年前にNPO「知的生産の技術研究会」が東洋経済新報社から「知の現場」を上梓した際、当初取材対象のひとりとして候補に挙がった。生憎渡辺氏の都合がつかず沙汰止みになった経緯があり、氏への取材が出来なくなったことを共著者のひとりとして残念に思ったものである。

 その渡辺氏が酒井さんの質問に応えた内容で、「三下り半」という言葉の解釈が一般に間違って使われていると書いている。これまで「三下り半」とは夫からの一方的な離婚を示す言葉と理解されていた。それ故離婚は我儘勝手に夫がやっても好いと解釈されていた。ところが、それは完全な間違いであると渡辺氏は応えている。三下り半による離婚は夫の一方的な我儘のせいで、離婚される妻に落ち度があるわけでははないと言っており、離縁する妻への再婚許可状で妻の側から夫に交付が請求されたものだという。この辺りの解釈はやや分かり難いが・・・。

 渡辺氏は、近代歴史学には江戸時代を悪者にせねばならぬ動機があったからであると指摘している。その理由として明治以来歴史学を支配してきたのは、市民主義でありマルクス主義であり、その市民主義が江戸時代の言葉の解釈が悪かったと考えたというのである。恰も「三下り半」の意味が誤解されるようになったのは、マルクス主義であるかのような軽薄なお説には、いかに渡辺氏であろうと素直には納得し難い。

 近年になって以前に頻繁に使用された正しい言葉でも近年になって間違いが判明し、訂正されている例は他にもある。その典型は「士農工商」である。かつての江戸時代の身分制度を表すこの言葉には、実際には武士の下に農工商の序列はなく、彼らの身分は平等であったという。それ故士農工商という言葉は、今では死語となった。これは言われてみれば理解出来る。今では教科書にもこの言葉は表記されていないので、教科書で士農工商を習った我々の世代は戸惑うこと夥しい。今後第2、第3の「士農工商」「三下り半」が現れ出ないとも限らない。

 渡辺氏の解説には何となくこじつけのようなものを感じて、残念ながらどうもすんなりとは受け入れ難い。

2017年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com