3743.2017年8月12日(土) 変わりつつある日本語の解釈

 思想史家で堅実な評論を書かれる渡辺京二氏が、今朝の朝日新聞紙上に女優酒井若菜さんから先週寄せられた質問に応える形で回答している。

 渡辺氏は10年前にNPO「知的生産の技術研究会」が東洋経済新報社から「知の現場」を上梓した際、当初取材対象のひとりとして候補に挙がった。生憎渡辺氏の都合がつかず沙汰止みになった経緯があり、氏への取材が出来なくなったことを共著者のひとりとして残念に思ったものである。

 その渡辺氏が酒井さんの質問に応えた内容で、「三下り半」という言葉の解釈が一般に間違って使われていると書いている。これまで「三下り半」とは夫からの一方的な離婚を示す言葉と理解されていた。それ故離婚は我儘勝手に夫がやっても好いと解釈されていた。ところが、それは完全な間違いであると渡辺氏は応えている。三下り半による離婚は夫の一方的な我儘のせいで、離婚される妻に落ち度があるわけでははないと言っており、離縁する妻への再婚許可状で妻の側から夫に交付が請求されたものだという。この辺りの解釈はやや分かり難いが・・・。

 渡辺氏は、近代歴史学には江戸時代を悪者にせねばならぬ動機があったからであると指摘している。その理由として明治以来歴史学を支配してきたのは、市民主義でありマルクス主義であり、その市民主義が江戸時代の言葉の解釈が悪かったと考えたというのである。恰も「三下り半」の意味が誤解されるようになったのは、マルクス主義であるかのような軽薄なお説には、いかに渡辺氏であろうと素直には納得し難い。

 近年になって以前に頻繁に使用された正しい言葉でも近年になって間違いが判明し、訂正されている例は他にもある。その典型は「士農工商」である。かつての江戸時代の身分制度を表すこの言葉には、実際には武士の下に農工商の序列はなく、彼らの身分は平等であったという。それ故士農工商という言葉は、今では死語となった。これは言われてみれば理解出来る。今では教科書にもこの言葉は表記されていないので、教科書で士農工商を習った我々の世代は戸惑うこと夥しい。今後第2、第3の「士農工商」「三下り半」が現れ出ないとも限らない。

 渡辺氏の解説には何となくこじつけのようなものを感じて、残念ながらどうもすんなりとは受け入れ難い。

2017年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com