充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6797.2025年12月22日(月) 年賀状を書く意味とその効用
今日は冬至である。世田谷区周辺の日の出時間が午前6時47分頃、日没時間は午後4時32分頃というから随分日照時間が短くなったものである。これから日1日ごとに日が長くなる。
さて、今朝のテレビ朝日「羽鳥モーニングショー」で「年賀状じまい」を話題にしていた。「後悔しない年賀状終活のすすめ」と題して近年の年賀状普及度合を紹介した後に、コメンテーターらの年賀状郵送状況についてそれぞれ説明していた。ゲストに澤岡詩野・東海大准教授が顔出ししていたが、澤岡氏自身年賀状の終活を勧める著書を書かれている。近年年賀状の発行枚数は減少を辿り、2004年には44億枚も発行されていたが、20年後の昨年は、7億5千枚にまで減った。昨年の発行枚数ですら、対前年比▲30%だそうだからその急降下ぶりはすさまじい。アンケートによると2026年に年賀状を送ると言う人は、36.4%だそうだから、全体の三分の一の人たちしか、年賀状を書かなくなったことになる。
確かに私の元へも来年度以降は年賀状を辞退したいという連絡をいただくケースが増えてきた。年賀状を書くのを中止する理由には、頷けるものもある。ただ、僭越だが、私のケースを述べるなら、小学4年時までは年賀状を書いたことがなかった。5年時に転校して新しく担任となった湯浅和先生が、年賀状について分かり易く丁寧に説明し、彫刻刀で版画を彫って年賀状を仕上げることを教えてくれた。そして年賀状を書く時は相手を想いながら書くものであると話された。先生から頂く年賀状には生徒一人ひとりに添え書きをして送られ、私は年賀状を書くのが楽しみとなったし、先生からの年賀状を楽しみにしていたものである。爾来これまで70数年に亘り毎年年賀状を書いて来た。今も2026年の年賀状を毎日コツコツと宛名書きをしている。
近年年賀状を書くのを止める人が多くなったのは、若い人などが、SNSやLINEの普及で普段から音信で交流を続けているので、敢えてその必要性が薄れてきたこと、手間と費用などから整理、高齢化による負担、価値観の多様化等々が挙げられている。心の底から知人に手紙を書く純真な気持ちが失われている。会社などで経費節約のため止めるという考えや傾向も大きく影響しているようだ。
テレビでこんな例も話していた。元教師がやや高齢となり教え子を主とする年賀状の交換を止めてから、寂しい気持ちが募り、教え子は今どういう考えや生活をしているだろうと懐かしく、寂しく感じていると言い、出来るならもう1度昔のように年賀状の復活をしたいと考えている人が大分いるようだ。これも元教職にいた人だから、恐らく子どもたちに年賀状について講釈を述べたことがある人たちだろう。
今日の番組コメンテーターの中で、ひとりは年賀状に随分きれいな写真を印刷して、自分が毎年どこを旅行しているかを知人に知らせていると言っていた。もうひとりは、10年前に年賀状を中止したと持論を述べていた。私は前者の年賀状派に惹かれる。
小学校の恩師は大分以前に他界されたが、仮にご存命なら今も変わらず年賀状の交換をしてくれていると思う。先生の最近のお考えも理解できるし、私の言動についても先生に知ってもらえると思う。まだ年賀状を書いているが、受け取った友人、知人が私の現状と考えを知ってくれるなら嬉しいことである。
6796.2025年12月21日(日) PC画面が暗くなり、観られない。
2,3日前からこのブログを書いているノートPCの画面が暗くなり、見難くなって執筆も苦闘している。今日コンサルタントに何とかしてもらえないかと連絡を取った。彼も中々多忙で、今日も顧客回りをしているので、大分遅くなるとの話だった。結局夕食も済ませた8時半過ぎに拙宅へ来られた。
普通なら明日以降に改めて来宅をお願いするのだが、何といってもこれまで6,800回近くも連続して書いているこのブログが書けなくなり、PCにアップ出来ないのが、残念で悔しいので、今日のブログは今日中に書きたいとの希望で、遅い時間に来てもらうことになった。
コンサルタントはPCにスイッチを入れただけで、画面が暗い原因が分かったようで、何のことはない、画面をちょっといじくっただけで、いつも通り画面は明るくなった。これで懸念は一瞬に消えた。何となくこれっぽちの原因で心痛になり、今日1日を暗い気持ちで過ごしたが、これでほっとした。それにしても専門職は強いなぁと感心する。
さて、一昨日自民党の首相に近い官邸幹部の「核兵器の所有」発言について、野党はもちろん、自民党内部でも一部にはひんしゅくを買っていると伝えられ、それは当然と思っていた。ところが政治家には本心をどう表したら好いのかということが良く分からない、また当然ながら善悪の区別すらわからない人が多い。
実は、あの発言は口外しないというオフレコの約束でメディアに話された。それが漏れたことをとやかく言っているのだ。メディアが報道したことについて、驚くべきことに「日本維新の会」の吉村洋文共同代表が、「(核保有という)ワンワードだけ切り出されたことを評価するのは違う」と指摘した。 また、オフレコ前提の発言をメディアが報じたことには「こうしたことがまかり通ったら、オフレコの場でも何もしゃべらないことになる」と述べた。核保有を発言したことをいくらオフレコとは申せ、今問題にされているのだ。にも拘らず、オフレコが漏れたことを問題にしている。党の代表が、密かに核保有の考えを持ち、敢えてそれについては口外しないと言っているようなものだ。
最近メディアによく登場する「ひろゆき」(西村博之氏)が、「メディアに『オフレコだから』と言って話す人は、どういう動機なの?オフレコなら話す必要無いじゃん」として「バラされたら怒るなら、最初から話さなければ良いわけで・・・。記者は友達ではなく、情報を記事にする為に来てるわけだよね・・・」とコメントしていた。この人物もオフレコが流れてきたこと自体を責めてはいない。問題は話の内容である。
玉木国民民主党代表は、オフレコを記事にするメディアは問題だとして、党代表でもある玉木氏も内容より、メディアがオフレコを漏らしたことを批判している。
それに比べると弁護士の橋下徹氏は、オフレコ云々より私見として「核兵器は持った方が良い」とはっきり述べたが、党創設者がそう言ったくらいだから日本維新も同じ考えだろう。吉村代表のオフレコ云々は核保有論を隠蔽するために利用していただけである。
6795.2025年12月20日(土) 危ない自民党幹部らの発言
このところ大小取り交ぜていろいろ話題が多い。今日の朝刊を一目見ても、日銀の長期金利の引き上げ、首都直下地震の発生と被害想定と対策に関する報告書、そして昨日首相官邸のお馬鹿さん幹部の発言である。
長期金利の30年ぶりの高いレベルへの引き上げには、いろいろ影響が現れているようだ。円安停止を目論んだが、ニューヨーク2日間だけでも、むしろ円安を2円も亢進させる結果となったようだ。長期住宅ローンを支払っている人には、大分響くようでその解説も熱心に行われていた。
首都直下地震発生情報については、政府の有識者会議が報告書に、M7級規模の地震が発生した場合、最悪で死者1万8千人、全壊・焼失建物は40万棟、避難者数480万人、帰宅困難者840万人、災害関連死4万1千人と公表した。最近地震がよく発生するが、あまり普段からその場合にどう防止し、被災を免れることができるかと深刻に考えたことはないが、こういう形で政府が国民に警戒を呼び掛けることは大事なことだと思っている。
ただ、首都直下の東京都はこの報告書に関して、直ちに都の見解を公表した。それによると、①電力に関する検証や対策は、国が主体的に行うべき、②災害関連死の算定根拠は不十分、その他にいくつか注文があるようだ。首都直下地震だけに東京都は独自に調査を進めていたとみられ、あまり専門家集団が発表した報告書に納得しているわけではない。
その他に一番問題なのは、日本は核兵器を保有すべきだという政府の「非核三原則」に逆らう発言を取材の記者には名前を知らせないよう釘を刺したうえで本心を語った。この幹部は、恐らく自民党内でも最右翼の人であろう。首相の相談役みたいな幹部である。今朝の「天声人語」によると、野党や自民党の一部からも更迭を求める声が出ているという。中谷前防衛相は、「政府の立場として個人的意見を軽々に言うことは控えるべきだ」と警告している。昨年ノーベル賞平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、「政府高官の核兵器保有の発言に断固抗議する」として、被害者の存在を無視しており許せないと厳しい指摘をした。
自民党内には、この幹部の様な人物がかなり多いことを示した事件だった。幹部の発言とその後の鎮静の様子から察すると、自民党には高市首相以下ほとんどが、同じような考えを持っていることを伺わせる。まず、全員が日本国憲法を読み直し、「武器放棄=非戦」の精神をしっかり頭に叩き込むことである。
しかし、こんな言ってはならないことを軽々に口に出すことは、やはり戦争体験がないからである。戦争が起きたら全員が命を失うぐらいの気持ちがないと、この右翼的な人たちには分からないのだろう。恐ろしいことである。
6794.2025年12月19日(金) 観る立場によってドラマの評価が正反対に?
専門家と我々の様な素人のドラマの見方と感想には、意外にも余りにも隔たりがあると知り、少々ショックを受けた。それは、今週の日曜日の本ブログにも触れたが、ちょうどその日にNHK大河ドラマ「べらぼう」最終回を終えたのを観て、最後の最後までよく分からない筋書きに幾分批判じみた感想を書いた。率直に言って「べらぼう」は、これまでの大河ドラマの中でも興味が湧かなかったドラマのひとつだった。ストーリーに一本筋が通っておらず毎回内容が変わり易く、はっきり言って視聴者としては付いて行けなかったと言える。実際、毎週公表された視聴率ベスト20には、ついぞ顔を見せなかったほどである。大河ドラマでは珍しい現象である。妻も同様にストーリーが分かりにくいと言っていた。
ところが、一昨日朝日朝刊テレビ番組紹介欄に「記者レビュー」と題する小論が載っていた。その中である編集委員が、「べらぼう」をべた褒めなのである。脚本に問題があると見ていた私には、意外にも「史実を踏まえつつ、活劇感や蔦重と花魁の恋路などの捜索を交えた森下佳子の脚本が出色」とその脚本を高く評価し、私が自信を失うほどのえらい持ち上げ方である。友人らの評価を聴いても、何となく観ているが、ストーリーはよく分からないと言っていた。それが脚本が出色だというのだから、何と言ってよいのか分からない。こんな具合で来年度以降も同じように、脚本が出色な作品を大河ドラマとして放映されたのでは、もう観る気がしなくなるだろう。
さて、戦時中にこんな辛い生活を送った家族がカナダにいたことを初めて知った。それは、日本軍がハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦された直後のことである。アメリカ国内の日系人は、強制収容所に収監されたが、カナダでは財産没収と同時に、国外追放を迫られた多くの日系人がいた。カナダ生まれの日系人にとっては、如何に日系人とは言え、日本語を話せないのに日本へ追放されることは、辛いことだった。それには、真珠湾攻撃と同時にイギリス領香港を日本軍が攻撃し、多くの香港在住のカナダ人が犠牲になったことがある。
1988年になってカナダ政府は、この時日系カナダ人に対して不当な取り扱いを行ったことを認めて、彼らに謝罪と補償を行ったという。当事者である日本人、そしてアメリカ人でありながら日系人として苦衷を飲まされた日系アメリカ人や、日系カナダ人のような戦争の被害者が沢山いるものである。どうあっても戦争は悲劇を生むばかりである。戦争は絶対避けなければならない。
ところが、事もあろうに高市首相に安全保障政策などについて意見具申をする立場にいる自民党の首相官邸幹部が、昨日日本を取り巻く厳しい安全保障環境を踏まえ、個人的な考えとして「日本は核兵器を保有すべきだ」との考えを示したというから、びっくりである。核不拡散条約との兼ね合いや、非核三原則などを承知している筈の担当幹部がこれだから、信用ならない。皆戦争の恐ろしさを口では言うが、実際には戦争体験がないので、戦争の本当の怖さを知らないから軽薄に戦争へつんのめるのだ。こういう輩には、せいぜい自衛隊に体験入隊させて、実弾の飛び交う恐怖の伴う経験をやった方が良いと思う。恐らく高市首相は内心ではほくそ笑んでいるのではないかと思う。右翼思想の首相以下、現内閣は皆戦争大好き人間ばかりが群れ合う組織になっているのではないだろうか。全員改めて憲法を通読することを求めたい。
6793.2025年12月18日(木) 自治体首長の国政指図は是か非か?
高市自民党総裁が首相になって初めて開かれた臨時国会が、昨日閉会した。2025年度の巨額の防衛費を盛り込んだ18兆3千億円の補正予算を維新、国民民主、公明の賛同を得て成立させたことを、首相自身自画自賛している。ただ、この膨大な補正予算額は、コロナ期を除いて最多で、その財源の6割超を国債発行によって賄う。借金財政については幾分無頓着な高市政権によって、国家の累積赤字が益々増大することが懸念される。
ところで、当初連立相手の「日本維新の会」とともに公約した衆議院定数削減については、与党内の意見がまとまらず、先延ばしとなった。同時に野党から強く要求されていた団体献金問題の結論も先送りとなった。少数与党だった自民党単独政権も、その後日本維新の会との連立、更に一部の無所属議員が自民党会派に加わったことで衆議院議席の過半数を越え、その勢いで予算を通過させたものである。だが、多くの問題が積み残されており、年を越した来年1月開催の通常国会に持ち越されることになる。先延ばしとなった衆議院定数削減問題は、自民、維新の連立に絡む問題であり、申し出た維新としては何としても次期国会で実現しなければならないだろう。
ただ、最近テレビにしばしば顔を見せるようになった維新の共同代表、吉村洋文・大阪府知事が、高市首相と両党の国政共同運営について話し合っている。法的に許されてはいるが、国会議員でもない吉村氏が国の重要な政策を首相と話し合い、結論を出すことは、おかしいのではないかと思っている。国会で議決すべき問題を国会議員でもない吉村氏が強く関わることは、むしろ問題だと思う。もうひとりの共同代表である藤田文武衆議院議員に任せて、どうしても直接交渉したいなら、次回の衆議院選を経て国会議員になってから高市首相と対等の立場で議論し、結論を出すのが責務ではないかと思う。
さて、3年前に奈良市内の駅前で、安倍晋三元首相を銃撃し殺害したとして殺人罪の罪に問われていた山上徹也被告の最終審理である公判で、今日検察側は被告に無期懲役を求刑した。母親が旧統一教会の信者で、多額の資産を教会へ献金して家族が生活に困窮し、その恨みを被告は旧統一教会へ向けたが、機会が訪れず、安倍元首相が旧統一教会と関係が深いことから、安倍元首相に恨みはないが、選挙応援に駆け付けた安倍氏の応援演説中に安倍氏を狙撃したものである。安倍氏を狙うことは本筋ではなかったと安倍夫人にも詫びて、検察の言う通りに間違いはないと正直に告白していた。
極めて不幸な事件になってしまったが、旧統一教会日本支部はすでに解散を命じられ、本家のある韓国でも旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が、国会議員らに不正な金品を手渡していたと、警察の家宅捜索を受け、韓鶴子総裁も取り調べを受けている現状である。
被告は複数の身内が自死するほど家庭的に不幸な事情に同情が寄せられているが、検察は事件と家庭の事情とはこの際無関係であるとしている。これから、最終的な処分が決まるまで、かなり時間がかかることだろうが、元総理大臣が白昼堂々大勢の国民が注目する中で殺害されるとは、法治国家の日本としては珍しい事件である。この先どうなるか分からないが、ともかく司法に則って被告の処分は最終的に決められるであろう。