充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6800.2025年12月25日(木) ブログ執筆と年賀状書きに追われる。
今日までこのブログを書き続けて連続6800回となった。2007年5月に書き始めているからすでに18年を超えている。来年には通算7千回になる。お陰様で時々ブログを読んでくれた友人らが連絡をくれ、いろいろアドバイスもしてくれる。彼らも読むのを楽しみにしていると言ってくれるのが嬉しい。書き続けることはそれなりに苦労も悩みもあるが、書いていると資料なども調べるので勉強になるし、何と言ってもボケ防止になる。ひとつの生きる張り合いでもある。いつまで書き続けられるかは分からないが、今の目標は1万回としているので、まだ9年近くかかる。その前にわが人生がつぶれるか、初志貫徹できるかは、分からない。今年仲間と創刊した雑誌「イコール」アクティブ・シニア革命号では、人生百年時代の「新・孔子人生訓」として、80歳から95歳までは「熟年期」と見ている。熟年期中も書き続けて、1万回はそれを過ぎた95歳から110歳までの「大人期」に成し遂げたいものである。まだ先は長いが、毎日コツコツと書き続けて行きたいと考えている。
さて、いま年賀状を書くのに大わらわである。年々書く枚数が減って来たが、中でも昨日突然知らぬ女性から電話を受けた。よく話を伺ってみると父親が亡くなり、これまでの交友関係のある人に死亡のご挨拶をしなければいけないと思い住所録を見たが、ぐちゃぐちゃになっていてよく分からず、困っていたと言っていた。少しは分かるのが電話番号だったので、電話番号が分かる人たちに電話でお知らせしているという話の内容だった。実は学生時代は親しかった娘さんの父親から今年の年賀状はもらえなかった。何となく以前の手紙のやりとりから体調が優れないのではないかと気にはなっていた。娘さんから父親が亡くなったということを知らされて、やはりそうだったのかと淋しく思った。それにしても娘さんも大変だし、よく丁寧に知らせてくれた。父親との交流を感謝すると言っておられたが、私もその心遣いには感心する。またひとり友人が旅立って行かれた。
こうして送る年賀状も減ることになる。これで今年冥界入りした友人は、3人となった。今日までに宛先を書いた年賀状は200枚余であるが、かつては500枚ほど書いていたが、ここまで減るとは年齢と同時に時代の年賀状感覚があると思う。まだ書き残している残りの年賀状はあと50枚程度であるが、一両日中に投函しないとどうも落ち着かない。
ただ、この忙しい時に先日具合の悪かったプリンターを知人のITコンサルタントに別品に替えてもらった。ところが、そのプリンターで肝心のプリントするのに中々思うように行かず、宛名を書くことも出来ない。明朝彼がチェックしに来てくれることになった。この年末になってから、急に忙しくなってきたが、それは年賀状にも言える。しかし、年賀状を書くことばかりは止めるわけにはいかない。
それにしても今年は他人事と思っていた年末年始の忙しさが、自らに押し寄せるとは思ってもいなかった。どういうわけか、4つも原稿依頼を抱えて、これも至急仕上げなければならない。これでは「年寄りは閑」どころではない。まさに高市首相が就任演説で「働いて働いて働いて働いて働いて参ります」と話したように、私も「働いて参ります」。
6799.2025年12月24日(水) クリスマス・イブに‘ジャンボ’の訃報
昨日まで腹痛などで体調が優れなかったが、今朝起きたら前日のような腹痛がなく、痛みはまず感じることはなくまずまずである。腹痛の時でも仰向けに寝ているとそれほど痛みを感じなかったので、夜ベッドで天井を向いて寝ていたのが良かったのだろう。昨日は吐き気と嘔吐を催しそうになることがしばしばあったが、今日は幸いそのようなことはない。漢方薬が効いているのかも・・・。外は寒く、朝から雨が降っている。今日東京の最高気温は8.4℃で低かったが、これから真冬に向けて一層寒さは厳しくなるだろう。出来る限り健康に気を付けなければいけないと思っている。
ところで、今日はクリスマス・イブである。今日は各地に積雪情報はあまりなく、むしろ全国的に雨が多いようで、ロマンチックなホワイト・クリスマスは見られないようだ。
そのイブのイブ、昨日プロゴルフ界のレジェンド・ジャンボ尾崎(本名:尾崎将司)がガンで亡くなったとのニュースが聞かれた。ゴルフはまったく興味がなく、プレーも1度しただけだったが、「ジャンボ」は1964年選抜高校野球で徳島県立海南高校のエースとして初優勝を果たしたので、当時から名前はよく知っていた。2人の弟もゴルフ界で活躍した。歴代最多の12度の年間賞金王に輝き、日本プロゴルフ・ツアー優勝通算94回を含めて、通算優勝回数は113回で、日本人として4人目の世界ゴルフ殿堂入りも果たしている。若手ゴルファーの育成にも貢献したようである。享年78歳だった。
それにしても今年は、スポーツ界で活躍し亡くなったスター選手が多い。6月にミスター・プロ野球と言われた元巨人軍の長嶋茂雄氏が肺炎のため89歳で永眠された。私も何度か後楽園球場で巨人戦を観戦したことがあり、特別印象に残っている選手である。特にテレビで観ていて記憶に残っているシーンは、昭和天皇ご観戦の阪神戦で村山投手からサヨナラ本塁打を放ち勝負を決めた試合と、鳴り物入りで1958年東京六大学の立教大からプロ球団ジャイアンツへ入団した最初に対戦した国鉄スワローズ戦で、エース金田正一投手から4打席4連続三振の厳しい試練を受けたシーンが印象的だった。
8月には、Jリーグが発足する前にサッカー界で大活躍して、1968年メキシコ五輪で得点王に輝いたサッカー界のキング・釜本邦茂氏が肺炎で81年の生涯を閉じた。国際マッチで日本人選手としては最高の75得点を挙げ、今も歴代最多の得点とされている。
長嶋茂雄、釜本邦茂、尾崎将司の3人を改めて考えてみると、これほど人気のスポーツ界の各分野で本人の活躍のみならず、人気と実力で普及に貢献した選手は後にも先にもいなかったのではないかと思う。長嶋氏が亡くなった直後は、テレビなどでも随分その活躍ぶりが披露されたが、釜本氏の場合は、長嶋氏に比べればそれほどでもなかった。それは彼らの活躍した当時の野球とサッカーの人気の差ではなかったかと思う。尾崎氏のケースは、ゴルフがあまり大衆的なスポーツではないだけに、その現役時代の活躍があまり紹介されることは少ないと思う。いずれにせよ一世を風靡した彼らスポーツ界のレジェンドが、宿命とは申せこの世を去ったことは寂しい限りである。
6798.2025年12月23日(火) 原因不明の腹痛に1日中悩まされる。
どうもこのところ体調が優れない。原因がよく分からない。ひとつは、一昨日の夕刻に右肩が急に痛くなり、右手を上に上げられない。ちょっとした物を取り出すのにも左手で支えて右手を上げたり、面倒なので左手でやってしまう。その日はシップを貼って痛みが消えるのを待った。その痛みは今日になって漸く消えつつある。
もうひとつの不調は、昨日の夕食前に腹痛というか、お腹が何とも言えない痛みに襲われたことである。これは肩の痛みより質が悪い。昨夕から痛みが酷くなり始終お腹の周りをさすっている。吐き気と嘔吐を催しそうになるが口から廃棄物が出ない。排便は普段と変わらない。昨晩はとても我慢できないので、寝てしまった。
今朝起きてみてもあまり回復したような気分になれない。相変わらずお腹を押さえたまま家の中をうろうろしている状態である。今日は朝食を取らないことにした。
これは内科医に診ていただくのが一番良いと考えて、普段通いつけの森内科医院を訪れた。医師に肩の痛みも合わせて、この一両日のお腹の痛みの様子について説明し、診察をお願いした。
すぐベッドに横になり、医師はお腹の辺りを触れたり、押したりしながらお腹が大分固いと仰った。診察の結果、今まで服用していた10錠超の内服薬に、更に漢方薬を呑んでみてはどうかということで漢方薬をいただいて来た。
妻がこのまま昼食を食べないと体が弱ってしまうので、「おかゆ」でも食べてはどうでしょうと勧めてくれたので、おかゆとお茶だけをいただいた。
その後昼寝をしている間は好いが、目覚めるとお腹の辺りがまだ痛む。身体を横にして横たわっていれば、やや痛みは和らぐ。抱えている業務が多いので、このまま痛みが去らない内は、近藤節夫事務所も活動できない。このままの状態が続いて結局痛みが消えるような兆候はない。夕食も食べる気がしなかったので、お茶と牛乳だけ飲んだ。
考えてみても87年の生涯で、原因も分からないまま痛みにただ耐えているだけという情けない経験は、初めてである。今日はいつもより早めに寝ようと思っている。
6797.2025年12月22日(月) 年賀状を書く意味とその効用
今日は冬至である。世田谷区周辺の日の出時間が午前6時47分頃、日没時間は午後4時32分頃というから随分日照時間が短くなったものである。これから日1日ごとに日が長くなる。
さて、今朝のテレビ朝日「羽鳥モーニングショー」で「年賀状じまい」を話題にしていた。「後悔しない年賀状終活のすすめ」と題して近年の年賀状普及度合を紹介した後に、コメンテーターらの年賀状郵送状況についてそれぞれ説明していた。ゲストに澤岡詩野・東海大准教授が顔出ししていたが、澤岡氏自身年賀状の終活を勧める著書を書かれている。近年年賀状の発行枚数は減少を辿り、2004年には44億枚も発行されていたが、20年後の昨年は、7億5千枚にまで減った。昨年の発行枚数ですら、対前年比▲30%だそうだからその急降下ぶりはすさまじい。アンケートによると2026年に年賀状を送ると言う人は、36.4%だそうだから、全体の三分の一の人たちしか、年賀状を書かなくなったことになる。
確かに私の元へも来年度以降は年賀状を辞退したいという連絡をいただくケースが増えてきた。年賀状を書くのを中止する理由には、頷けるものもある。ただ、僭越だが、私のケースを述べるなら、小学4年時までは年賀状を書いたことがなかった。5年時に転校して新しく担任となった湯浅和先生が、年賀状について分かり易く丁寧に説明し、彫刻刀で版画を彫って年賀状を仕上げることを教えてくれた。そして年賀状を書く時は相手を想いながら書くものであると話された。先生から頂く年賀状には生徒一人ひとりに添え書きをして送られ、私は年賀状を書くのが楽しみとなったし、先生からの年賀状を楽しみにしていたものである。爾来これまで70数年に亘り毎年年賀状を書いて来た。今も2026年の年賀状を毎日コツコツと宛名書きをしている。
近年年賀状を書くのを止める人が多くなったのは、若い人などが、SNSやLINEの普及で普段から音信で交流を続けているので、敢えてその必要性が薄れてきたこと、手間と費用などから整理、高齢化による負担、価値観の多様化等々が挙げられている。心の底から知人に手紙を書く純真な気持ちが失われている。会社などで経費節約のため止めるという考えや傾向も大きく影響しているようだ。
テレビでこんな例も話していた。元教師がやや高齢となり教え子を主とする年賀状の交換を止めてから、寂しい気持ちが募り、教え子は今どういう考えや生活をしているだろうと懐かしく、寂しく感じていると言い、出来るならもう1度昔のように年賀状の復活をしたいと考えている人が大分いるようだ。これも元教職にいた人だから、恐らく子どもたちに年賀状について講釈を述べたことがある人たちだろう。
今日の番組コメンテーターの中で、ひとりは年賀状に随分きれいな写真を印刷して、自分が毎年どこを旅行しているかを知人に知らせていると言っていた。もうひとりは、10年前に年賀状を中止したと持論を述べていた。私は前者の年賀状派に惹かれる。
小学校の恩師は大分以前に他界されたが、仮にご存命なら今も変わらず年賀状の交換をしてくれていると思う。先生の最近のお考えも理解できるし、私の言動についても先生に知ってもらえると思う。まだ年賀状を書いているが、受け取った友人、知人が私の現状と考えを知ってくれるなら嬉しいことである。
6796.2025年12月21日(日) PC画面が暗くなり、観られない。
2,3日前からこのブログを書いているノートPCの画面が暗くなり、見難くなって執筆も苦闘している。今日コンサルタントに何とかしてもらえないかと連絡を取った。彼も中々多忙で、今日も顧客回りをしているので、大分遅くなるとの話だった。結局夕食も済ませた8時半過ぎに拙宅へ来られた。
普通なら明日以降に改めて来宅をお願いするのだが、何といってもこれまで6,800回近くも連続して書いているこのブログが書けなくなり、PCにアップ出来ないのが、残念で悔しいので、今日のブログは今日中に書きたいとの希望で、遅い時間に来てもらうことになった。
コンサルタントはPCにスイッチを入れただけで、画面が暗い原因が分かったようで、何のことはない、画面をちょっといじくっただけで、いつも通り画面は明るくなった。これで懸念は一瞬に消えた。何となくこれっぽちの原因で心痛になり、今日1日を暗い気持ちで過ごしたが、これでほっとした。それにしても専門職は強いなぁと感心する。
さて、一昨日自民党の首相に近い官邸幹部の「核兵器の所有」発言について、野党はもちろん、自民党内部でも一部にはひんしゅくを買っていると伝えられ、それは当然と思っていた。ところが政治家には本心をどう表したら好いのかということが良く分からない、また当然ながら善悪の区別すらわからない人が多い。
実は、あの発言は口外しないというオフレコの約束でメディアに話された。それが漏れたことをとやかく言っているのだ。メディアが報道したことについて、驚くべきことに「日本維新の会」の吉村洋文共同代表が、「(核保有という)ワンワードだけ切り出されたことを評価するのは違う」と指摘した。 また、オフレコ前提の発言をメディアが報じたことには「こうしたことがまかり通ったら、オフレコの場でも何もしゃべらないことになる」と述べた。核保有を発言したことをいくらオフレコとは申せ、今問題にされているのだ。にも拘らず、オフレコが漏れたことを問題にしている。党の代表が、密かに核保有の考えを持ち、敢えてそれについては口外しないと言っているようなものだ。
最近メディアによく登場する「ひろゆき」(西村博之氏)が、「メディアに『オフレコだから』と言って話す人は、どういう動機なの?オフレコなら話す必要無いじゃん」として「バラされたら怒るなら、最初から話さなければ良いわけで・・・。記者は友達ではなく、情報を記事にする為に来てるわけだよね・・・」とコメントしていた。この人物もオフレコが流れてきたこと自体を責めてはいない。問題は話の内容である。
玉木国民民主党代表は、オフレコを記事にするメディアは問題だとして、党代表でもある玉木氏も内容より、メディアがオフレコを漏らしたことを批判している。
それに比べると弁護士の橋下徹氏は、オフレコ云々より私見として「核兵器は持った方が良い」とはっきり述べたが、党創設者がそう言ったくらいだから日本維新も同じ考えだろう。吉村代表のオフレコ云々は核保有論を隠蔽するために利用していただけである。