先月予定していた会食を兄の両眼の白内障の手術のため今日まで延期していた。兄の高校の同級生で南極の専門家、国立極地研究所名誉教授・神沼克伊さんと兄、そして新たに同じ同級生の天野武和さんが加わり、私もお仲間に入れてもらって4人で5カ月ぶりに会食を楽しんだ。これまで知らなかった母校や同級生らの愉しい話が後から後へと引きも切らず、食事とカフェで3時間以上も話し込んでしまった。
神沼さんは相変わらず海外へよく出かけられるようで、つい最近あまり日本人が出かけない世界遺産、ギニアのエンジェル・フォールまで登山道を歩いて出かけたのはよいが、選りによって転倒し頭部を7針縫ったその傷跡まで見せていただいた。医療費は一切支払わなかったと、キューバと同じように社会主義国家のご相伴に与ったと仰っていた。神沼さんは、一時は80歳までは生きられないと言われたこともあるそうだが、無事今月1日に傘寿80歳をクリアされた。お見かけしたところ元気溌剌とされていて、パワーをいただけるような気がしてくる。
天野さんは高松高検検事長まで務められたお父上の血筋を引いた秀才としてよく知られ、大手銀行、鉄鋼会社で大幹部を務められ、長年母校同窓会会長も務められた。ニューヨークに、そしてデュッセルドルフに2度勤務されたので、海外事情にも詳しい。それぞれお話を伺っているだけで勉強になるし、知っている同級生のお名前が出て来るので懐かしくも思う。母校校歌の作詞者、北原白秋のお孫さんで母校出身の金城学院大学教授の北原ルミさんにお会いして、祖父が作詞した校歌を筆で書いてもらい、福岡県柳川市の北原白秋記念館に掲げてもらったという涙ぐましい話には感動した。
同級生の中で珍しい人物として「日本のシンドラー」杉原千畝の長男弘樹氏がおられる。高校卒業後直ぐアメリカへ行かれたようだが、すでに亡くなられた。ごく最近骨肉の裁判の結果母親の遺産相続問題に決着がついたばかりである。
どういうわけだか不思議な縁であるが、9月に訪れるバルト3国のうち、杉原千畝が総領事だった領事館は、今リトアニア大使館として母校後輩の重枝豊英氏が特命全権大使を務めておられ、隣のラトヴィアでも後輩の藤井真理子さんが特命全権大使を務めている。バルト3国と母校の不思議な縁を思う。3国の位置関係もまだきちんと頭に入っていないが、日本戦史のうえでも大きな話題となった国を訪れることを楽しみにしている。