3684.2017年6月14日(水) 京都市長の儚い懐古

 明治2年に明治天皇が京都御所を出られて江戸城、その後江戸城改め皇居に入られた。以降歴代天皇のお住まいが皇居から出ることはなかった。これによって東京が帝都となった。これには京都人は割り切れない思いを抱いているという。京都市には政治は東京で行われる現実の一方で、皇族が京都に住まわれることを願う「双京構想」というのがあって、このほど皇室典範の一部改正により、天皇が譲位され上皇となられるに伴い、上皇には京都にお住まいいただきたいとの希望があるようだ。

 とりわけ門川大作・京都市長には、その希望が強く、私自身まだ1度も出席したことはないが、毎年10月に開催される日本ペンクラブ京都例会でも、和服姿で来賓挨拶されるくらい古い様式に拘る人である。京都と日本古来の文化の結びつきこそが日本人の伝統であり、誇りであると思っておられるようだ。上皇が京都に住まわれるということは、現皇太子が今上天皇の御所にお住みになられることを考えると、親子が離れた遠隔地に住まわれることになり、高齢になられた上皇と上皇后にとって心が休まることにはならないのではないか。難しいような気がしている。この情報は日経紙の受け売りであるが、京都市の希望はともかく、今上天皇のお気持ちを考えると難しいような気がしている。

 皇居内には、かつて天守閣があった天守台が今も残り、私も会員である認定NPO法人「江戸城天守閣を再建する会」が、元の場所に木造建築の天守閣を再建すべく活動している。過日同会理事長を辞められた小竹直隆さんから新たな活動として一般財団法人「江戸城天守再建ルネッサンス」を設立し、その代表理事に収まったので、そちらも会員になって欲しいと案内状と設立趣意書が届けられた。ただ同じ目的の組織では二重会員のように感じていたので放置しておいたところ、今日小竹さんの弟と名乗る方から電話をいただき、入会を強く勧められた。弟さんの話では現在の認定NPO団体では、相当な建設費用が掛かり、組織として天守閣を再建するのは難しいので、これまでのPR用のNPO法人組織に加えて新たにお城を再建するための一般財団法人から、いずれ公益財団法人化へ加速させていきたいとのお話しだった。じっくり考えてみたい。

 今日はセルビアから一時帰国中の山崎・ヴケリッチ・洋さんと8日に続いて再び会った。山崎さんと旧ユーゴスラビアで初めて会った1984年、旧文部省教員海外派遣団長で、元文部省教科書検定課長だった山田不二雄先生を交えて3人で新宿のハイアット・リージェンシー東京の和食レストランで会食し、記憶を呼び起こしながら思い出深い話を語り合った。山崎さんからは先日マケドニアの特殊な歴史について、中々知り得ない話を聴いたが、今日はシリアのアサド大統領について意外な事実を知らされた。

 現在の収拾のつかないシリア情勢を含む中東情勢の不安定な要因は、専らアサド大統領の存在にあると我々は知らされ、メディア情報からそのように理解して来た。ところが、山崎さんの情報では、かつてアサド現大統領が当初シリアのリーダーとなった当時は、シリアでは医療費や教育費が無料ですべてのシリア人は、アサド大統領を信頼しきっていたというのである。それをこじらせ、現在のIS根拠地として、テロを作り出す国家になったとPRしているのは、むしろアメリカやその追随国であると断じていた。日本には真実が知らされていないそうだ。私もシリア情勢混乱の原因はアサド大統領にあると考えていた。そこら辺は少々勉強不足だった。真実を知り得るかどうか分からないが、もう少し調べてみたい。

2017年6月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com