2年前まで駒沢大学マスコミ講座で講師をされていた菱山郁朗講師と、我々受講生だった5人で鎌倉散策を楽しんだ。先月ゼミ仲間と歩いた時とほぼ同じコースを辿り、JR北鎌倉駅から最初に円覚寺へ寄り参拝と抹茶をいただいた後、鎌倉街道に沿って東慶寺、建長寺を訪ねながら鶴岡八幡宮へ出て、若宮大路の段葛と小町通りを経由してJR鎌倉駅へ辿り着いた。途中でお蕎麦屋、ケーキ屋、カフェ、そして駅近くでシラス丼を食べながら大いに談論風発した。紅葉にはやや早かったが、晩秋の古都鎌倉をじっくり味わうことができた。
同行者には申し訳なかったが、今日の目的のひとつには、東慶寺に眠っている竹内謙・元鎌倉市長のお墓参りをすることもあった。先月訪れた時は、いくら探してもお墓が見つからず、あまり友人を待たせるわけにも行かず、諦めて東慶寺を後にした。今日も同行者を所在無げにするのは忍び難かったが、菱山講師は生前竹内氏と面識があったようで、皆さん私の気持ちを快く分かってくれた。
今日も東慶寺の受付で地図の上に印を付けて教えてもらった辺り、周囲のお墓を片っ端からチェックして回った。だが、どうしても見つからず受付の方に頼み込んで一緒に行っていただき漸く見つけることができた。何とお墓にはどこにも「竹内」の名前はおろか、墓石にも何らの文字、記号も彫られておらず、これでは誰のお墓か分からず、見つけられないのも致し方のないところだ。これも彼の生前の意思だったのだろう。今年に入って後を追うように奥様も亡くなられたが、奥様のお名前も刻まれていない。これでは一度お墓参りをした人でなければとても見つけることは無理だと思う。
彼は一昨年4月に他界して今年3回忌を迎えたところだ。私が高校でラグビー部主将になった時彼が新入部員として入部してきた。それ以来の付き合いである。祖父、父、兄ともに弁護士としても著名で、特に祖父金太郎はゾルゲ事件の尾崎秀実、阿部定の弁護人として広く知られている。朝日新聞政治部記者時代は三木武夫元首相番を務めていた。1993年朝日を辞めて鎌倉市長選に立候補して当選し、市長を2期務めた。選挙本部長を務めてほしいと彼から熱心に頼まれたが、当時会社務めの身でもあったので、丁重にお断りした。その代わり2度の市長選では、どぶ板選挙も手伝ったし、当時の井上禅定住職が支援者だった東慶寺で開かれた選挙対策会議にも度々出席した。そのご縁で東慶寺に眠っているのだろう。その後鎌倉学会を設立しようという時にも名前を貸してほしいと依頼されたことがある。会えば、丁々発止とやり合ったこともあった。NPOの講演会で講師にお願いしたこともあった。彼への思い出は尽きない。
早大探検部員としてともに海外へよく出かけていた直木賞作家で日本ペンクラブ副会長の西木正明さんも一度お墓参りをしたいと言っていたが、やっとお墓に巡り会えお参りを済ますことができたので、今月末にお会いする時に写真を見せて彼のお墓の話をしてあげたいと思っている。
今日は雨模様の中だったが、予定通りのルートを歩くことができたし、探していた竹内氏のお墓も見つけられたので、目的は達することができた。とにかく何となくほっとした。久しぶりに気持ちよく歩き回り、万歩計は軽く2万歩を超えていた。