先日11月4日に地球温暖化対策に新しい国際的枠組みであるパリ協定が発効することが伝えられた。そして、パリ協定締約国会合がその後7~18日にモロッコで開かれるCOP22 に合せて開かれるが、日本はそれを批准していないため会合には出席できない。
厳しい規制に多くの国がしり込みしてしばらくはまとまらないだろうと日本は甘く見ていた節がある。だが、諸外国は問題を真剣に捉えて、すでに排出ガスを枠組み内に抑制しようと動いていた。20年も以前に「京都議定書」を取りまとめ主導的な役割を果たしていた日本としては迂闊だったと言うだけでは済まない。
温室効果ガス排出量上位5カ国のうち、批准していないのは日本とロシアだけだというから、世界的に地球温暖化にブレーキをかけない国と見られても仕方がない。流れが変わったのは、ダントツで排出量の多い中国が批准し、続いて2位のアメリカも批准する立場にスタンスを変えたことが大きい。EUは全加盟国揃って締結と対応し、排出量4位のインドですら批准した。それでいながらわが国はこの動きにただ指を銜えていて手を打たなかった。これでは、世界の流れに置いて行かれ、ガス排出国との汚名を浴びせられるだけである。しかも、批准できそうもないと分かったら、国益のためにも何を放っておいても国会で優先的に批准すれば間に合うのにそういうことはやらないのが、今の自民党議員である。まったくお話にならない。
現在開会中の臨時国会の所信表明演説で安倍首相はパリ協定に一言も触れなかったという。総選挙が噂される中で国内向けのスタンスなのか、やたらに補正予算や南スーダンのPKO自衛隊派遣など国内問題を語っているが、もう少し国際社会を見つめた政治に気を配ってほしいものである。
さて、「さ入れ言葉」があるとは知らなかった。「ら抜き言葉」は知っていたが、話の中に無理やり「さ」を入れる使い方だそうである。昨日の朝日新聞読者欄に掲載された83歳の男性の投書である。この方は、「させていただく」という使い方から、本来「見せていただく」「やらせていただく」と言ったことをそれぞれ「見させていただく」とか、「やらさせていただく」と言う使い方に違和感を覚えるという。特に「乾杯の音頭を取らさせていただく」との言い方が今では当たり前のように使われていることに、日本語の危機感を感じておられる。確かに投書氏の言う通りだ。丁重に発言した方が良いと思うのか、やたらに「させていただく」という言い方が違和感もなく使用されているが、そこには日本語としてあるべき形が崩れているように思う。それは日本語を粗末に扱っているというより、文章を書く習慣を身に付けずに、話し言葉でスマホやメールに省略分を書いたり、基本を蔑ろにしているせいではないかとちょっと心配している。その意味では投書氏のご意見は卓見だと思う。