222.2007年12月22日(土) 吉田修一著「悪人」の価値と評価

 18日の本ブログで吉田修一の新聞連載小説「悪人」が、いかにつまらない作品であるかと指摘したが、それが「毎日出版文化賞」に続き、また別の賞を受賞した。第34回「大佛次郎賞」である。同賞は「ジャンルを問わず優れた散文を対象とする」と謳った、数多くある文芸賞の中でも大賞のひとつである。「悪人」のどこが良いのか、その評価の基準がよく分からない。作者は「いろんな登場人物を描きたかったので、場面を短い区切りでどうにか収めようとしたのがよかった。突然、別の人物の声がモノローグとして入る手法がリズムを生み出し、結果的にうまくいった」。どうも自画自賛に過ぎるのではないかと思えてしようがない。前半のコメントは確かにその通りだが、だからといって「リズムを生み出し、結果的にうまくいった」となったかどうか。私にはどうもよく分からない。

 5人の選考委員がそれぞれ異なった視点からコメントを出されているのも興味深い。哲学者の山折哲雄氏は「一つひとつの情景をつみ重ねてクライマックスにもっていく構成的な作劇法が鮮やかである」。解剖学者の養老孟司氏は「なにを書こうとしたのか、そのあたりのわからなさがいちばん面白かった。著者は筆力があって、いったん読み始めたら、最後まで一気に読まされてしまう。そういう作品は決して多くない。そこを評価した」と必ずしも内容自体を賞賛していないコメントだった。多分私のように表層的に、平板的に受け取る読者がいることもお見通しの上で、論評しているのだと思う。

 それにしても、小説の評価について、文芸評論家と称される人たちと自分の考えにこれほどギャップがあるとは少しショックでもある。これで、4年ほど前の130回芥川賞同時受賞の綿矢りさ、金原ひとみ、ら若手女流作家が描いたセックスとマゾ表現が評価された時から、改めて文壇は純文学路線から外れ、何でもありのエロ・グロ路線へ走り出したように思える。

2007年12月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com