237.2008年1月6日(日) 国会議員削減と世襲議員について提言

 今年は、少し政治的な意見を提言しようと考えている。取り敢えず、提言したいことは2点ある。ひとつは、制度として国会議員の数を減らすことである。これによって付帯経費、特に衆参両議院事務局の経費を大幅に節減することが出来る。数字はまだ検討段階だが、国会議員数を半分に減らすことを目標にすればよいと思う。無駄な経費の節約というより、国会議員が真剣に国民のために働いてもらうよう国民が監視するためには、少数の方が細かく目が行き届く。また、議員削減のような荒療治も必要であり、国民の理解も得やすいのではないか。実際、現状の国会議員数は多すぎる。いまの不真面目な議員たちの奪税ぶりには、もう国民はうんざりしている。

 第2点として、現行制度を大きくいじるのではないが、問題の「世襲議員」を失くすことを制度上考えるべきではないかということである。見渡してみると、近年の総理大臣はほとんど「世襲議員」であり、国会議員も半数が「世襲議員」である。「大臣」と呼ばれる閣僚もほとんど「世襲議員」である。世襲でなければ国会議員にはなれないくらいである。大臣、また首相になるためにも、早く箔をつける意味で大臣を経験することが重要であり、そのためにはより早く議員になる必要がある。それには、「世襲議員」になることが早道である。一方で、こういう反対意見もある。たとえ「世襲議員」であっても有権者が自分の意志で投票し、結果的に当選することが出来るなら、順法精神に適っているし、法的に「世襲議員」を止めることは、逆に「自由」「平等」であるべき憲法の精神に反するとの至極当然の反論である。

 わたしはこの反論に対して敢えて反論したい。まず、「世襲議員」、それ自体は法の精神に反したり、矛盾するものではない。ただし、法はあくまで、自由と平等の上に成り立っている。その自由と平等という名の下に保護された「世襲議員」には、自由と平等を他人から奪う自由が無条件に担保されているのである。「世襲議員」がなぜ選挙に強く、当選することが出来るのか。これがこの問題の根源である。「世襲議員」には通常の選挙で勝てるような仕組みが付与され、すでに完成されているからである。はっきり言って、政治のために大切な人物本位とか、資質、政策、理念や哲学、志等は2の次である。選挙に勝つためには3つの必要条件があると言われている。曰く「地盤」「看板」「カバン」である。この中で最も強力なものが、「地盤」なのである。この地盤こそが、候補者にとって最も重要であり、これなしには現行体制で勝つのは中々難しい。この「地盤」を先代からすんなり継承することが出来るかどうかが、今後政治家としてやっていけるかどうかを決めるのである。すでに、獲得票数まで予測できる強力なシステムを引き継いだ時、政治家として、ひょっとすると一国の総理大臣となる幻想と可能性も得ることになる。

 この仕組みはどこかおかしくないだろうか。あまりにも理不尽だと思ったことはないだろうか。親が政治家なら容易に総理大臣へのパスポートが得られる。一般の有権者ではとても考えられないことである。どうして政治家の家に生まれた人間と普通の家庭に育った人間との間に、こんなに不平等で大きな格差があるのだろうか。

 ここでは、持論を提起しておきたい。政治家の家庭に生まれた場合は、そのまま「地盤」を継承して立候補すれば、並外れた「有利性」を享受出来る恩恵に浴している。これは、完全に憲法が保証する「自由」と「平等」に反している。端的に言えば、「世襲議員」制度?は、憲法の精神に反しているのである。では、どうすればこれを防止出来るか。国民一律に平等に取り扱えばよいのである。世襲を継承する立候補者から、一定期間有利な「地盤」を預かればよい。つまり、肉親からそっくり「選挙地盤」を引き継ぐやり方から、「地盤」における立候補、被選挙権行使を一時封印し、その代わり「地盤」を行使出来ない他の選挙区から、自由に立候補を認める制度に法改正することが望ましいと考えるがいかがだろうか。

2008年1月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com