248.2008年1月17日(木) 阪神淡路大震災から13年

 早いもので阪神淡路大震災から今日で13年になる。神戸ではいろいろな行事が行われたようだ。テレビでも神戸の様子をいろんな角度から伝えていたが、私には実体験がないので恐怖の臨場感は分からない。しかし、1999年8月にトルコで大地震に遭遇した時は現場にいて、腰を抜かさんばかりにびっくりした。阪神大震災だって、朝起きた時テレビ画面から煙の立ち上がる光景を見た時の驚きは、忘れようにも忘れられない。その晩のことだった。突然地球の裏側の、リオ・デ・ジャネイロの友人、アリンド・フルタードさんから電話があった。「神戸の震災をニュースで知った。セツオの家族は東京だから大丈夫だと思うが、神戸の友人は大丈夫か?」と知り合いの中に震災による被害者がいないかどうかを心配してくれて、わざわざ国際電話で尋ねてくれたものだ。神戸に知り合いはいないので、被害者はいないと伝えたら、安心して直ぐ電話を切ったが、こういうところまで細かく気を遣ってくれる外国人の友情に感激したものだ。

 午後、池袋にある東京交通短期大学を訪ねた。会社勤めのころに、部下だった桑原賢二さんから外部特別講師として講義してもらえないかと先日電話があり、その打ち合わせに出かけた。私が会社を辞めてから、彼はリストラされ、随分苦労したがこの短大に就職関係の事務職ということで職を見つけ、現在では講義を持ち助教(准教授の一方手前)として堂々活躍してくれている。喜んで引き受けることにしたが、こういう形で元の部下が頑張っている様子を見るのは嬉しいものである。彼の元気溌剌とした顔色を見ていると、水を得た魚のようである。日時は短大に委ねてあるが、彼のためにも期待に応えてあげて良い講義をしてあげたいと思う。

 夕方には、渋谷で山崎洋さんと再び会った。いつも日本に帰ってくるとお互いに旧交を温めながら、情報交換をしているが、山崎さんとの話はリベラルな話が中心になって、いろんな意味で触発される。聞けば、先日父上の遺骨を戦火で見失った場所が判明したとのことだったが、その場所、世田谷キリスト教会庭園で土を採取し、翌日富士霊園の両親の墓へ納めたそうである。波乱万丈の生涯を送られたご両親も喜んでおられるのではないだろうか。

 また、山崎さんから小田実さんに関する個人的な話も聞いた。1990年以前にミロシェビッチ大統領に対する反対デモがあった頃、ベオグラードで彼は小田さんを諌めたそうである。小田さんは一丁やるかと勢い込んでいたそうだが、山崎さんは、その当時のデモは学生主体でアメリカやNATOに支援されたものだから、これに労働者でも合流すれば基盤が出来るが、学生だけの反対デモではいずれ終息すると小田さんを止めたそうである。これも面白い話だ。山崎さんも小田さんを説教するんだから大したものだ。夕食は3時間以上に亘って日本酒とウナギで大いに盛り上がった。

2008年1月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com