288.2008年2月26日(火) 2.26事件は忘れられた。

 今日2月26日は、日本の近代史上忘れてはならない「2.26事件」発生の日である。昭和11年、昭和の暗い時代に軍部は中国大陸への侵略から大東亜戦争へ一直線に突き進んで行った。「2.26事件」は、そのひとつのきっかけともなった青年将校によるクーデターである。

 まだ30代の頃、松本清張の「昭和史発掘」シリーズを夢中になって読んだ。横浜のマンションに住んでいた時、同じフロアに事件当時の中国課長が年老いて住んでおられた。その後、陸軍航空隊の戦跡巡拝団をお世話する過程で多くの元軍人の方々と親交を深めさせてもらった。事件の主役だった安藤輝三陸軍大尉や栗原安秀同中尉らと士官学校で一緒に学んだ37期生山之口甫・元第134師団参謀長とも何度かお話をした。しかし、山之口さんはついぞ肝心な点について話してくれるようなことはなかった。それは山之口さんにとってはとても耐えられることではなかったであろう。同期生処刑班のリーダーとさせられ、同期生を死地へ送る命令役を務めたのだから。個人的には静かな方ではあったが、眼光鋭く気の許せない人だという印象があった。時折きっとにらんだ鋭い目つきには、怖いような感じさえ抱いた。言動や所作の中に、さすがは職業軍人だと思うこともあった。職務とは言え、友を処刑した罪悪感と後悔に苛まれて生きていても辛いんだろうなと思った。それが山之口さんの口を重くさせていた。

 結局この5年後に日本は大東亜戦争へ一本道で突っ込み、310万人もの多くの犠牲者を生むことになった。そして終戦である。この終戦と原爆投下だけは、毎年欠かさず式典が行われ、そのニュースは全国に伝えられている。終戦記念日に東京武道館で天皇・皇后両陛下ご臨席の下に全国戦没者追悼式が行われ、全国各地で慰霊祭も行われマス・メディアによって大々的に伝えられる。

 しかるに、昨年の大東亜戦争開戦記念日について、ほとんどのマス・メディアは報道しなかった。この点について、12月8日付本稿でも批判的に意見を述べた。いままた「2.26事件」について、新聞やテレビでは一向に報道しない。なぜだと問いたい。朝日夕刊のコラム「窓」―解説委員室から―というのがあるが、ここに「無言で語る是清碑」として関連記事が掲載されていた。だが、「2.26事件」について直截的に書かれた記事ではない。事件当日、高橋是清は自邸を襲撃され非業の死を遂げる。その邸宅を遺族が都に寄贈していまそれが公園となっている。そこに石碑があるが、「昭和11年2月、にわかにこの自邸で亡くなられた」という趣旨のことしか刻まれていないそうだ。今日のこの日の「2.26事件」の歴史や、真実と意味を伝えることをマス・メディアはサボタージュしているように見える。日ごろから自分たちに都合が悪くなると、言論に自由とか報道の自由の抑圧だと言っているが、関心が持たれないと報道しようとしない。いまのマス・メディアはぬくぬくとした環境の中で過保護になり、厳しい取材活動には顔を向けなくなった。情けない。

 とにかく近年史実をありのままに伝えることが少なくなった。理由はたくさんあるだろうが、マス・メディア側に研究心が足りずに書ききるだけの能力が欠如していること、真実を追究するというジャーナリズム魂が欠落していること、ジャーナリスト一人ひとりのレベル低下、その他諸々であるが、これではいずれ歴史が変わってくるのではないかと凡人は寂しく思う。

2008年2月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com