東京大空襲があったのは、63年前のまさに今日である。最近大東亜戦争の歴史的記念日に関する報道が少なく、戦争自体に対する反省すら希薄になっている。その中で東京大空襲に関するニュースが目立つようになったのは、当然とは云え、亡くなった方々への鎮魂であり、忌まわしい戦禍を伝えていくことこそが、生き残ったわれわれの責務でもあると思う。
昨晩のNHKドキュメンタリー番組「小田実特集」の中で、小田さんが大阪大空襲に遭い、それが小田さんの思想と行動の原点だと言っていた。大阪大空襲は東京大空襲に遅れること3日後の3月13日をきっかけにして、度々繰り返され、最後の空襲は、実に終戦前日の8月14日だった。小田さんはこの爆撃の下に恐怖を体験した。しかも、大阪市内の被害者数は10万人を超えたと言われ、広島原爆犠牲者と同じで、長崎原爆犠牲者の7万人を大きく上回った。なぜ執拗なまでに米軍は大阪を徹底的な攻撃で殲滅しようとしたのか。国際法違反の疑念も消えていない。小田さんはテレビの中で言っていた。大阪大空襲は広島、長崎への原爆投下で日本政府がポツダム宣言受諾を決めていたにも関わらず、日本が国体の護持を主張してポツダム受諾に条件をつけたために、アメリカが日本の降伏を早めるため、空から絨毯爆撃を敢行し、日本の息の根を止めようとしたと。
戦争に正義も正当性もない。ただ無闇に人を殺し、悲劇を生んでお互いに憎しみを増幅させているだけだ。「悪」である戦争を止めさせるためには、いつも戦争する愚を精査し反省する機会を持ちたい。そのためには戦争と関わりのある歴史を風化させてはならない。
アメリカは日本軍による中国の重慶などへの無差別攻撃を、国際法上問題があると批判していた。では、昭和20年3月10日に始まった米軍機による日本国内各都市への無差別絨毯爆撃は、アメリカの理念や平和主義とは矛盾しないのか、また国際法上何ら問題はなかったのか。アメリカ政府、市民の間にも疑義がある。