夕方になって突然ソウルから電話があった。11月に講演を依頼され、その仲介をされている桂さんからだった。先月末必要な書類をメールで韓国隠退者協会会長に宛て送信したが、その中に講演テーマと内容も送信した。ところが、私の理解と相手の考えとの間に大きなずれがあることが判った。私は韓国の定年退職者が退職後どんな希望を持ち、人生を楽しんで生きていくのか、日本人のケースを私自身の例と父親のケースに例えてお話しようと考えていたが、主催者側は60歳、或いは65歳の定年後に、次の職をどうやって見つけるか、どういう形で再就職をするのか、等日本のケースを話して欲しいということのようだった。つまり再雇用について話して欲しいということだったが、これは私の知らないフィールドで、私の経験や知識で大勢の人たちに向かって話をするのは難しい気がする。また、こういう話自体には面白味がないのではないか。時間はまだ充分あるから、考えてみて欲しいというのが桂さんの希望だった。しかし、よくよく考えてみるとこういうテーマはハローワークとか、厚労省の労働行政者にとっては専門分野であるが、通常の人が講師となるのは難しい。とりあえず、受けたままにしているが、その後八木哲郎・知研会長に電話で話の大筋を伝え、一応ペンディングとすることにして、明日会長が親しい桂さんに直接尋ねてみるということになった。
一昨日小田実一周忌講演会の際、購入した「終らない旅」500頁をぱらぱらとめくっていたところ、奇妙なことに気がついた。目次がないのである。扉頁があって、すぐ本文に入るが、見出しがあって、文があり、その先にまた見出しがあって文がある。最後までその繰り返しである。見出だしは1から71まである。しかし、その見出しの目次がない。発行元の新潮社に電話で著者小田実の意向かと尋ねたところ、普通のスタイルと大きく異なった編集の場合は、著者の意向が大きいと担当者ではない女性の答えだった。多分落丁本ではなく、意図的に目次を付けないのは、著者の希望を受け入れたのだろうとも言っていた。でも、見出しを探すにも苦労する。一覧で見られないのは不便だし、読みにくくもある。こんな本は初めてだ。小田実のやることは、最後まで一風変わっている。
さて、先週末アメリカで金融不安に対する1つの手が打たれたが、週明けの日経平均終値は対先週末465円の大幅下落だった。やはりアメリカ相場に歩調を合わせ、ウリが相場を支配した。世界同時不況の始まりか。この先どこまで下がり続けるのやら見当もつかない。