多摩大学公開講座の今日の講師は佐高信氏だった。この人の話はいつも辛口で論点の核心を突くので実に面白い。テレビとは違い、学生が多いというのも佐高氏にとっては若干やりにくいのかも知れない。多少学生を意識したような発言をされていた。対極にある立場から見れば、実に手ごわい論客であるし、理論的にも鋭い論法で攻めるので、必ずしもマス・メディアからは歓迎されないようだ。今日聞いた話から言えば、私には佐高氏の話はすべて正論であるし、納得のいくものだった。
冒頭事前に配られた故筑紫哲也氏を悼む記事に触れ、筑紫氏の思い出を語られた。
本論では、まず日本の権力構造から話された。今何がタブーなのかと。結局、わが国は官僚国家であり、会社国家である。どうしてこうなったのか? 国民は政治家が何もしないことを知っているからである。
佐高氏の舌鋒は、小泉改革に向けられた。小泉純一郎・元首相は、民主党の小沢一郎代表、浜四津敏子・公明党副代表と並んで慶応義塾大学の同級生である。小泉改革は真の改革ではない。郵政改革はやったが、財務省を批判するようなことは何もやっていない。中川昭一・財政金融担当大臣という職責を見れば、今や財政と金融の分離も崩れてしまった。過去大蔵、財務に逆らった首相はいない。大蔵、財務を改革しなければ本当の改革ではない。
もう一方で国の立場を代表する外(害)務省は、アメリカと中国を同じように扱わないから北朝鮮に強い影響力のある中国と親しく出来ず、結果的に拉致問題は解決しない。小泉首相以来、すべての首相がアメリカ一辺倒だった。
会社国家というのは、国民が個人的に力をつけるより、会社経営者をやりやすくするよう力点をおいている。前者の側には城山三郎、内橋克人、佐高信氏らが立ち、後者には長谷川慶太郎、堺屋太一、竹中平蔵らで、派遣労働者を労働現場に定着させた。会社はCMで圧力をかけて新聞に不利、或いは批判的な記事を書かせない。記事の差し止めまで行う。佐高氏はCMのない新聞、当然書くべきことは書く新聞として「週刊金曜日」代表を務めている。
勲章の馬鹿馬鹿しさについても触れた。史上最低の首相・宇野宗佑氏が勲一等で、世界的な写真家・土門拳が勲四等というのは解せない。城山三郎氏の葬儀で弔辞を述べた時隣席に中曽根元首相、小泉元首相がいた。受勲を拒否した城山氏を褒め称えた時、大勲位の中曽根氏は微動だにしなかったという。どこか昨日の篠田正浩氏の米軍司令官へ叙勲された話と通じる話だ。
いずれにしても中々山葵の利いた話ばかりで、1時間半の間飽きさせることなく終始した。実に反体制的で味のある講義内容だった。
終ってから聖蹟桜ヶ丘駅近くの居酒屋で、知研八木会長、久恒理事長、秋田事務局長、高橋茂人さんと食事を伴にして会長からご馳走になった。
帰路渋谷駅で、先日修復を終え通路壁に掲げられるようになった、岡本太郎の大作「明日の神話」を初めて目にした。かなりの通行人が立ち止まっては見ていた。大きな絵画だけに、流石に迫力がある。このような名画を見ようと思えば、いつでも見られるのは有難いことだ。