岩波市民セミナーの原寿雄氏による「ジャーナリストとして生きて」 4回シリーズは今日が最終回である。「現場を離れて見えたもの」のテーマの下に共同通信社記者から離れて、ジャーナリストとして各方面の委員会委員としての経験等について話された。また、マス・メディアが抱える問題点やジャーナリズムの今後について持論を話された。総括として、ジャーナリズムは権力に立ち向かえるか、発表ジャーナリズムから調査報道へ転換出来るか、社説は必要か、等々についても語られた。
前回受け付けた質問のうち、4点について回答された。そのひとつは私が今年正月以来気になっていた韓国利川市内の冷凍倉庫爆発事件の報道のあり方について、ジャーナリスト、或いは原氏の考えを伺ったものである。原氏はこの事件をご存じなかったようだ。会場の雰囲気でも誰もこの事件を知らないようだった。実に意外である。証拠としてインターネットからダウンロードした事件の文章と写真を回覧してもらい質問した。死者のうちかなりの数が、朝鮮系中国人であったことに対して事件直後に中国の胡錦濤・国家主席が 韓国政府に対して最善の処理をするよう要望した。この点について、原氏はこの辺りがどうも引っかかるようなことを仰っていた。しかし、事件の概要についてはご存じないようなので、突っ込んだ回答は引き出すこと出来なかった。
この事件については結局国内では専門家でもほとんど知らないということであり、ニュースなんか権力者の意向でどうにでもなるものだ、ということを改めて知らされたように感じた。
折も折り、今朝の新聞に外交文書がいくつか公開された記事があった。佐藤栄作首相が1965年に訪米した時、アメリカ政府に「(日中戦争になれば)米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と表明し、核戦争を容認していたことが明らかになった。大変なことである。こんな国家にとって大事な約束、話を国民は何も知らされていなかった。日本政府にとっては防衛上の機密が沢山あり過ぎて、とても国民に説明することは考えられなかったのだろう。しかし、政府の隠蔽体質は核持ち込みの密約等について、嘘をつき通したことが明確になった。それでも存在しないというのだから、隠蔽体質も極まれりである。
それにしても原氏の講義は、久しぶりに硬骨漢の哲学をじっくり聞かせてもらったという印象である。素晴らしい講義だった。