ハイアット・リージェンシー東京で拙著「停年オヤジの海外武者修行」の出版記念会を無事終えた。約120名様のご参加をいただいた。司会役は前回に続いて本橋敬彬氏にお願いしたが、経験豊富で安心してお任せすることが出来た。今日のゲストは小田急グループ、JAPAN NOW観光情報協会、知的生産の技術研究会、大学ゼミ、山仲間のアルペンクラブ、ラグビー部を中心とする湘南高校の仲間たち、等々普段から皆知っている人ばかりなので、楽しい会合に出来ればよいとの思いだけだった。幸い全体的に良いムードが流れて、私自身高校、大学の仲間とも充分とは言えないまでも、それなりに話すことが出来た。
高校時代あまり親しくなかった友人でも、卒業後懇意にしている友人もいる。比較的名の知られた方の中でも、轡田隆史氏や、野村正樹氏からは出席のご返事をいただいていなかったが、ご本人はハガキを投函したと思っていたと仰っていた。お二人には申し訳ないが、実は、最近こういう人が案外多い。轡田氏の知名度は相当なものだが、学生時代はサッカー選手として活躍されたことはあまり知られていない。何と日本サッカー協会の川渕キャプテンと早稲田大でワンツー・パンチの絶妙なFWコンビだった。
ご挨拶いただいたのは、前著に推薦文を書いていただいた日本ペンクラブ理事・小中陽太郎氏、前・小田急グループCEO・利光國夫氏、岡村透氏、「知的生産の技術研究会」理事長の久恒啓一・多摩大学教授、登山家の芳野満彦氏でそれぞれに含蓄に富んだお話や、ユニークなエピソードなど良いお話を伺った。尺八の鯉江丈山大師範による尺八演奏が良かったとの話も伺った。
久恒教授が多摩大学公開講座で私がお喋りの過ぎる学生たちを一喝し、黙らせたハップニングをご披露されたのにはびっくりした。また、私の「自己紹介図」に対する細かい分析には、流石に「図解」の第1人者であるだけにただ平伏した。平櫛田中記念館を訪れ、107歳で亡くなった平櫛が60歳、70歳は洟垂れ小僧と言ったことを述べ、私がまだ40年は生きることが出来ると仰った。恐縮したのは、大宅壮一ノンフィクション賞か、日本エッセイスト・クラブ賞を獲ると予言していただいたことである。 これは相当なプレッシャーである。この分では、まだ当分の間走り回らなければならない。
御礼の挨拶では、これからも「向上心」と「好奇心」という2つのキーワードを抱いて、ポジティブに生きていきたいと述べた。皆さんには喜んでもらえたようで、嬉しかった。
アメリカのオバマ大統領が就任後初めての記者会見に臨んだ。相変わらずエネルギーの塊のような語り口であるが、今日はいつもと違って大きなお世話と言ってやりたくなるたとえ話だった。
その内容とは、無為無策は経済危機を破局に導く。1990年代の日本経済の停滞は「迅速に行動しなかったため、不況を経験した」と日本を反面教師として早急に手を打つべきことを述べた。
しかしながら、テレビ朝日の報道ステーションのコメンテーター、一色清氏によれば、今日の世界不況はそもそもアメリカから起きたサブ・プライム問題に始まるのではないかと言っていた。大統領にそう言われても仕方がない一面はあるが、オバマ大統領も大きなお世話だと思う。