博多から佐賀へJRのL特急を利用した。ほんの35分で到着して駅前からタクシーで佐賀城本丸歴史館へやって来た。まだ酒のペンクラブの一行は到着していない。ボランティア・ガイドと本体到着まで気ままな話をしていた。以前佐賀城へ来た時は、外周りだけだったが、本体と一緒に本丸の中を見せてもらってガイドの説明を聞くと新しい歴史を知ることが出来る。
酒のペンクラブの面々だけに、日本酒については興味も関心も普通以上に強い。参加者は、佐賀県東京情報センター所長・西岡剛志氏、副所長・下平幸男氏が案内役で、私を加えてちょうど10名である。今日は3軒の醸造元、窓の梅醸造㈱、天山酒造㈱、そして峰松酒造を訪問、見学した。いずれも江戸時代に始まる古い歴史を持つ醸造元であるが、ビール会社のような近代的なものと違って、建物は老朽化して最近の地震の影響もあって前者の蔵のように大きく傾いていたり、後者も古い建物を維持するために、瓦屋根の葺き替えだけで2千万円もかけたという話を聞くと苦悩が分る。
地場の産業としてそれなりに経営しているようだが、内情は大変だなぁと思う。最近の傾向として日本酒より焼酎が伸びており、酒の方が多いとは言え、窓の梅で6:4、天山が9:1の割合というくらい焼酎の消費が伸びていると言っておられた。
佐賀へ来たのは久しぶりだが、地方の特徴として車、人の数が極端に少ないように感じた。国道沿いでも現実に何軒もファミリーレストランが店仕舞いしている様子を見ると地方の苦しんでいる姿が察しられる。現状では厳しいようだが、若い人にとってあまり魅力のある土地と言えないのかも知れない。地方の疲弊ということが言われるが、地方に行く度にう~んそうかなぁと思う。地方には大きな働き場所が少ないことが大きな原因でもある。その意味でも地方ではその土地ならではの産業を発展させることが生き残りの大きな要因だろう。地酒は決して大企業とはいえないまでも、地方産業を支える大きなつっかえ棒である。
今日の宿泊は嬉野温泉・和多屋別荘である。夕食宴会には、前東京所長だった山口和夫氏も参加された。