744.2009年5月27日(水) 下町の3代目社長の企業経営と町おこし

 東京の下町で3代目社長として新しいタイプのTシャツを作り出している久米繊維の久米信行社長を取材した。久米社長の商品作りの狙いとキーワードは「着心地」と「エコ」のように思えた。インタビュアーは若手会員の蓑島和浩さんが上手に務めてくれた。久米氏は単なる世襲社長ではなく、3年前第2の創業と称して家業だったYシャツ製造業から、製造と販売を一貫してTシャツを売り出した。地域でも町おこしのリーダーとして率先して行動しておられる。同社はわが国では珍しく初めてTシャツを作った、国産Tシャツメーカーの草分けであり、商品作りと販売の仕掛けが独創的で独特のこだわりがある。中国製品のような安さには勝てないが、国内でオーガニック・コットン生産にこだわり、数量限定のコットンTシャツを製造している。また、プロモーションも四万十川口の砂浜でTシャツのアート展示会を企画したり、コットン生地のTシャツ製作のために有機綿栽培を行って、それをインターネットで告知して啓蒙活動を広げている。ポジティブに自分の思うところを試行し、上手く営業に結び付けているように感じた。

 本社には垢抜けしたショールームを併設して自社製品の展示を行っている。Tシャツが一番安いもので19,600円だった。インタビュー前にプロモーション・ビデオを見せてもらいながら、久米氏から会社経営の哲学を聞かせてもらった。話し方もにこやかでいて情熱的である。

 久米氏は敬虔な仏教徒のようで、それはブログ「縁尋奇妙」の言葉にも表れているし、尊敬する人物が僧侶ということからも分かる。ブログを通して外へ意見を発信したり、情報収集も得意なIT機器を駆使しながら、併せて多彩なPR企画を仕掛けている。メルマガを1千通送信しているそうだが、その中の何人かがそれを更に再送信してくれることを期待している。自分が影響を受けたものとして、NETだと明言された。

 「知の現場」としては、自分が仕事をしている会社を挙げた。そして、人々が訪ねるような場所だとも語られた。久米氏にとってそれは河原であり、畑なのである。挫折は大分味わったと言っていたが、大学で留年したことくらいしか浮かんでこなかったところから察すると、ドン底まで落ち込んだ経験はないのではないだろうか。つくづく幸せな人だと思う。

 まだ、45歳の若さで脂が乗り切っている今日に至るまで思うところをやってきて、新しいビジネス展開で成功し、ご自分なりの地域おこしも考えておられる。会社の経営も順調とお見受けしたが、中小企業が経営破たんに陥る今日の経済不況の中で、新しい発想で新しいビジネスを起こし、これを地域に還元し、それが巡り巡って自分たちのところへ還ってくると考える太っ腹は、会社経営のひとつの理想と見た。

 久米氏が偶々母校慶応・経済の後輩で、常盤訽子教授(父は日本共産党理論派のひとり、平野義太郎氏)のゼミ生だったとは意外だった。失礼な言い方だが、頼もしい後輩である。

 久米氏は夕食を兼ねた懇親会も設営してくれた。こだわりの蕎麦店「ほそ川」は江戸東京博物館近くの路地を入り込んだ下町風情の漂うお店である。蕎麦店にしては珍しい人参の天麩羅や、イチジクのデザートを美味しくいただいた。新しい企業タイプの経営者として益々発展されんことを祈りたい。

 作詞家の石本美由紀氏と作家・評論家の栗本薫(中島梓)氏が亡くなられた。

2009年5月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com