久しぶりにサラリーマンとして最初の任地だった町田へ行った。兄の高校時代の友人である神沼克伊さん、兄、私の3人で小田急町田駅構内で待ち合わせをした。神沼さんは現在国立極地研究所、並びに総合研究大学院大学名誉教授であり、同時に日本の地球物理学、及び地震研究の第一人者でもある。また、南極に15回も行かれ、そのうち2度の越冬経験もあって南極を知り尽くした、日本でも数少ない専門家である。神沼さんは、今年日本の観測隊が南極を訪れてから60年になるのを機会に、昨年秋南極について分かり易く書かれた「白い大陸への挑戦」を上梓された。しかも一昨年上梓した拙著「南太平洋の剛腕投手」と同じ現代書館から出版された。
そんな事情もあって、昨年連れ会いを亡くし、やや沈み込んでいる兄を慰める気持ちもあり、神沼さんから我々兄弟と一度食事でもしましょうとお誘いを受けた。そして寄り集まったのが今日である。
それにしても、もう半世紀以上も前にこの小田急電鉄町田駅(当時は新原町田駅)駅員(正式には駅務掛)として勤務していたことがどうしても思い出されて来る。恥ずかしながら当時駅界隈で知られてしまった私の武勇伝がある。駅改札口で降車客からキップを回収していた時、乗車券を見せることなく突然脱兎の如く走り出した若者がいた。そんなレア・ケースを予期して私は普段から身軽で動きやすい運動靴を履いて勤務していた。不正乗車に気がついた私は、それっとばかり後を追った。追いかける途中で逃げ足の速い若者に追いつけない恐れもあったせいか、思わず「ドロボー!」と叫んだ途端目の前の交番から1人の巡査が勢いよく駆け出し、それに驚いたのか、若者がその場ですくんで立ち止まってしまった。これで無賃乗車客を取り押さえることが出来たが、後になって件の巡査から「ドロボーとは少し言い過ぎ」と窘められたことがあった。今や思いだすのも気恥かしい昔話になってしまったが、そんな話をその交番の前で話したら神沼さんも思わず笑っておられた。
今日の食事場所も神沼さんが予約して下さった。昔から界隈でもよく知られた馬刺し肉屋「柿島屋」で、これこそ駅員時代に何度か訪れた所だ。様子はすっかり変わってしまったが、それでも何となく懐かしい気持ちになるものだ。
積もる話に相槌を打ち、次から次へといろいろな話題が立て続けに出てくる。3人の共通の話題は、やはり母校・湘南高にまつわる話である。在学中神沼さんは気象研究会、兄は地理研究会、私はラグビー部に所属した。食事を済ませて神沼さんが言われたことは、「今日は幸い病気の話が出なかった」であり、とかく年齢的にこの種の話に触れがちだが、会話の中では病気や怪我の話は一切なかった。会話が楽しかったせいもあるだろう。神沼さんはこれまでに3回も膀胱がんの手術を受けたと言われたが、とにかく健康第一を確認し、また会いましょうということで別れた。
昨年神沼さんと兄は60年ぶりに会ったと言っていた。今日はその時以来だったが、すぐ気軽に高校時代や南極観測、お互いの自著の話題が次々と出てきて会話に飽きがこないのは、やはり気の許せない友だち同士だからだろう。
今日は本当に心からリラックスして寛げる貴重な時を持つことができた。元気ならまた近いうちにお会いしたいと思う。
さて、昨日の本ブログにリビアのテロについて、日本のメディアが報道しないことを批判的に取り上げたが、今日夕方のNHK「ニュース7」で初めてこのテロについて伝えていた。死者の数が55人と昨日の外電から減っていたが、かなり時間を割いてテロの内容を伝えていた。だが、新聞は相変わらずどこの朝刊と夕刊にもそれらしい記事は見当たらない。どうも事実関係が秘かに操作されているのではないかと思う。こういう事件にすぐ飛び付く朝日が何とも報道しないこともおかしい。幸か不幸か、いま朝日とバトル中であるが、きちんと質問者に説明をせず「逃げるが勝ち」姿勢の朝日の不誠実さを追及しているところだ。この点も併せて朝日に尋ねてみたい。
今日最もがっかりしたのは、体重がついに大台の70㎏に乗ったことだ。これまでずっと67㎏前後で推移していたが、最近少しずつ増量して、ついにこれまで記憶にない70㎏になったとはショックである。況してや昨年夏に人間ドック検査を受けた際、身長から推して60㎏以内に落とすようアドバイスされ、苦労していた時期だが膝を痛めて運動は出来ず、風邪をひいて減量の可能性が低くなっていた。一日も早く体調を回復させて早く60㎏台に戻せるようにしたい。