年末でもあり久しぶりに書斎兼寝室の大掃除をした。なくしたと諦めていたものが思いがけず出てきたり、必ずあると信じ込んでいたものが見つからなかったり、自分自身に愛想が尽きることがある。それでも時間をかけて、片付けると部屋も小奇麗になって気持ちのいいものだ。お正月を迎える擬似門松やお飾りは昨日手伝いに来てくれた長男が取り付けてくれた。
さて、昔机を並べて仕事をしていた大学の後輩でもある元同僚・小沢英信さんが、1冊の書を送ってくれた。会社を辞めてから時節の手紙のやりとりだけは欠かさなかったが、少し遠いところに住んでいるので、普段は疎遠になっている。時々拙稿を載せた小冊子「知研フォーラム」などを送っていたので、わざわざ書物を送ってくれたのだと思う。彼もいよいよ本を出版したのかと思って小包を開けてみると、彼の著書ではなく、何と「平和を愛する世界人として」と題する統一教会の文鮮明の自叙伝である。日本語版が発行されて2ヶ月足らずで6刷を重ねたというから凄い。手紙が添えられていたので、拝読すると脳梗塞で倒れてリハビリ中で、思うように文字が書けないと書かれてあるが、言葉は少なくとも漢字も交えてそこそこ書けている。今年受け取った年賀状にはそんなことは書いてなかったので、いつ倒れたのだろう。それにしても、不自由ではあろうことは想像がつく。今まで彼が統一教会に絡んだ話は耳にしていなかったので、或いは脳梗塞になったことが、統一教会へ入信(多分)するきっかけになったのではないかと想像する。
しかし、手紙を添えて本を贈ってくれた点から考えても、頭もしっかりしているようだから、最悪ということではないと思う。それにしても些かショックではある。彼と同期生だった原田弘造さんは今年8月に亡くなった。われわれももうそんな年齢なんだと言い聞かせる。私より2歳若く昭和15年生まれだから、来年古希を迎えるところである。お礼を兼ねて「知の現場」を送り、激励してあげようと思う。それにしてもかつての仲間が元気を失くしたり、表舞台から姿を消していくのは寂しいものである。
今朝の朝日新聞のトップ記事を見て驚いた。韓国人4,727人に戦時中の日本国内における年金記録が確認されたという。日本の戦前の年金記録自体があやふやだったのに、在日朝鮮人の労働と年金記録が確認されたのは、ずさんな社会保険庁としては珍しい。これまで朝鮮半島出身の軍人・軍属に関する資料は韓国政府に開示したことはあるが、今度の年金記録は民間人の年金記録である。日本の工場や鉱山などに強制動員されたと申請した韓国人は16万人にも上るという。このうち9割はまったく裏づけがないということから認定作業は滞っている。
戦時動員された外国人の厚生年金については、同じ主旨の労働者年金保険が生まれ、1942年から国籍の区別なく、炭鉱や軍需工場などの国内の事業所で働いていた労働者に給料の天引きという形で加入させていた。
帰国の際脱退手当金でことを処する人もいたが、依然として一定期間掛け金を支払いながら、脱退手当て金を受け取っていない人も多く、その資格者が相当数いると考えられ、日本側の対応次第では韓国内の反発が強まる恐れもあると懸念されている。
しかし、それより朝鮮を植民地化していた時代でも、大日本帝国政府が労働者に年金制度を導入していたことに驚いている。その旧制度が表面化したのも、例の年金疑惑で加入履歴を調べた結果だそうだから、ひょうたんから駒という感じである。契約であるからきちんと調べて支払うべきものは支払わなければならないが、数年来問題視されているようにわれわれ日本人の年金記録もしっかり調べて欲しいものである。