日本航空の再建問題がいよいよ節目を迎えている。予想以上に債務が嵩んでいて完全に債務超過の状態である。昨年来再建問題が政府、主力取引銀行、企業再生支援機構、日航の間で協議されたが、これという決定的な再建案が決められずに、今日までずるずる来てしまったというのが現実である。投入されると予想される公的資金は、とりあえず8,000億円と言われている。
今日政府は法的整理の活用を前提に、企業再生支援機構が支援する方式を採用することにほぼ腹を固めたようだ。段取りとしては、日航が東京地裁に会社更生法の適用を申請し、その後に再生機構が支援を決定するスキームである。つまり体のいい「隠れ倒産」である。主力取引銀行と日航自体が、会社更生法適用はイメージダウンにつながり、旅客離れを招くと強く抵抗してきたにも拘わらず、このスキームを渋々受け入れたのは、ぬかるみのように日に日に増え続ける債務金額と、企業年金減額に対する日航OBの強い抵抗に遭って進むに進めず、まともに政府保証を取り付けることが難しくなったことと、法的整理を全面に打ち出されて、最早手の打ちようがなくなったからではないだろうか。
12日にOBの企業年金減額の諾否の回答期限が来る。この回答次第では一気に事態は動く。日航とは現役時代にともに随分仕事をやった。当時も日航の親方日の丸的な仕事ぶりには、全面的に納得しているわけではなかったが、お世話になったことは事実であり、今日の事態を考えるとかつてのパートナーとしては残念であり、あの威勢の良かった当時を思うと昔日の感を禁じ得ない。
とりわけ印象深いのは、長年協力しあった旧厚生省・援護局の大東亜戦争戦没者遺骨収集事業である。特に、中部太平洋地区では必ず日本航空を利用し、毎年便宜を図ってもらった。その当時はサイパンから日本への直行便がなく、収骨したご遺骨をミクロネシア航空機でサイパンから護持してきたが、経由地のグアムで日航機の接続便がないために、いつもまる1日間グアム空港内の日航特別施設に預かってもらったことなどがその最たるものだ。
ほかにも日本航空との思い出は尽きない。セールススタッフとの業務上、業務外のお付き合いも忘れられないものが多い。
政府は航空機を飛ばしながら、会社の再建を図ることを目指している。そのためには、日航にまだ大きな試練が待っている。社員1万人の削減である。どこまでも厳しいが、税金で支援してもらっているのだから、日航自体にもうひと頑張りしてもらいたいと思う。