昨晩NHKで「‘追跡!A to Z’重大疑惑! 日本兵の骨は偽物か? 遺骨収集の闇」と題するショッキングなドキュメント番組が放映された。私自身20年近くに亘って旧厚生省の戦没者遺骨収集事業に携わり、少なからず英霊の母国への奉還に協力させていただいたとの気持があり、また中部太平洋を始め、マーシャル・ギルバート諸島、東南アジア、シベリア、樺太、旧満州などの戦没地を歩き、ある程度遺骨収集事業の内情を知っているだけに、本事業の真意と主旨が少し別の方向へ歩み出している点に釈然としない気持と疑問を抱いた。
当番組はフィリピンにおける遺骨収集事業を取り上げていたが、最大の問題点は、国家事業であるべき「戦没者遺骨収集事業」が、安易に「空援隊」というNPO法人に丸投げされ、その「空援隊」が現地において自らの裁量によりすべてを取り仕切っていること、そしてその遺骨収集の実施方法にあると思う。
以前は国家事業として、決して民間の介入を認めなかった。例え民間人が遺骨を1片でも収骨したら厚生省遺骨収集団に引き渡すか、或いは地元警察署に預けるか、の選択肢しかなく、戦没者の遺骨に対する考えも崇高で厳しいものだった。
それが、番組によれば、いとも簡単にフィリピン山中の部落で盗掘された現地人の骨を、日本兵の遺骨との確認もなく引き取り、持参した現地人に代金を支払っている感覚は、こと戦没者に関わることだけに戦没者を冒涜するものであり、とても尋常のことと思われず、その神経はまったく理解出来ない。この背景には、戦後長い時間が経過して関係者の多くが亡くなり、情報が得られなくなって異国の山野に散逸した遺骨も見つけにくくなった事情がある。結果的に年々収骨数は減少し、多くの費用を注ぎ込んだ割に成果が得られないとのジレンマもあったことは事実である。
今から30年ほど前にこのまま巨額の国費を投じて遺骨収集事業をいつまでも続けるべきか否かの議論が沸騰したことがあった。当時はまだ多くの遺族、特に妻や子息が生存していたために、日本遺族会を挙げて猛烈な反対運動により継続されることになり、さりとて半永久的に続けることに、必ずしも全面的な賛成がなされたわけではない。その挙句苦し紛れに妥協して、「終了に近い継続」という意味合いで、「概了」という言葉を造り出して一部で話題になり、遺骨収集事業も毎年継続されてきた。
結論から言えば、例え成果は乏しくとも以前と同じように厚労省主導のやり方で継続すべき事業だと思う。この事業を行うことは戦後生き残った日本人としての英霊に対する誠意であり、責任と義務であると思う。
残念ながら、今や役所にもNPO法人にも戦場における悲惨さを知っている人が極めて少なくなった。件の「空援体」のように、どれほど厚労省から補助金をもらっているのか分らないが、東京都内の家賃の高そうなビル内に事務所を構えながら事業を請け負ったり、一方で厚労省係官が質問に対して率直に実情を開陳しようとしない点はいかがなものかと思う。
折角NHKが取り上げたことでもあり、今1度改めて問題の本質と性格を検討すべき時であると思う。例え「概了」であってもよい。細々とであってもよい。遺族がまだ生きておられるうちは、厚労省が主導して半永久的に事業を続けるべきである。これについて事業仕分けで[NO]との判断が下されることはよもやあるまい。
さて、今日は午後になって突然共著「そこが知りたい 観光・都市・環境」の拙稿に添える写真を撮りに行こうと思いついた。4枚の写真と2枚の図解を提供してすでに組版されているが、まだ1枚足りない。
実は中国人旅行者が日本国内を旅行している写真が欲しかった。出版社でも探してくれるという話だったが、まだ見つからないらしい。6日の打ち合わせまでに何とか見つけないといけない。明日は降雨の予想なので、一念発起して外国人が観光している場所として、デジタルカメラを手に銀座、浅草、秋葉原へぶらり出かけてみた。銀座は歩行者天国になっていて中国人を見つけにくく、浅草にはむしろ欧米人の方が多く、結局良い写真が取れず、最後の秋葉原でやっといくつかの中国人団体客に会い、何とかスナップを撮ることが出来た。これを編集者に気に入ってもらえるかどうかちょっと気になる。