3206. 2016年2月22日(月) 東西対立時の懐かしいテレビ・ドキュメント

 昨晩NHK特集「新・映像の世紀」の第5集「若者の反乱が世界に連鎖した」が放映された。毎度鑑賞するのを楽しみにしている番組である。昨日は録画しておいて今日ドラマチックなシーンをゆっくり観ることが出来た、この政治的、社会的事件は私自身遠からず関わっていたので、今もそれぞれ強く印象に残っている。何とも云えず懐かしい想いに捉われた。

 1961年8月13日突然東ベルリン市内に東西をはっきり分断させる有刺鉄線が敷かれたシーンから始まった。日時までははっきり覚えていなかったが、このシーンには当時強いショックを受けた。有刺鉄線は時を経ずしてコンクリート製の壁になり、東西対立が崩壊した1989年まで続く。その間に東から西へ脱走する東ドイツ市民は後を絶たず、それを防止するために絶望的な高い壁が建設された。壁崩壊の直前に壁の西側で大音響を発してジャズ演奏会が行われた。その主役が先月亡くなったデビッド・ボウイだったとは初めて知った。画面では時系列的に1975年ベトナム戦争終結まで紹介された。私には、ベルリンの壁と「プラハの春」、ベトナム戦争がどうしても思い出されてならない。

 ベルリンの壁をつくづく恨めしく思ったのは、1976年初めて国境検問所前まで来た時である。その時東ドイツ兵の無表情な立ち居振る舞いを見て、壁を取り巻く冷血な共産主義体制を知った。だが、この時は東ベルリンへ入ることはなかった。初めてその検問所を超えて東へ入ったのは、83年旧文部省の教員海外研修団に就いてカールマルクス・シュタット(現ケムニッツ)で教育施設を見学した時だった。そこでシュタージ(秘密警察)というものを初めて知った。何もかも東欧の特異な空気と社会主義の実情には目を丸くしたものである。

 「プラハの春」は、チェコ留学の夢を潰された何とも言えない事件だった。1968年の事件発生からちょうど20年目の記念日に、偶々プラハに滞在して暴動に遭遇したことも懐かしい。

 ベトナムは戦時中の1967年1月に入国し、そんな奇縁で昨年4月30日終戦40周年の当日インタビューされた映像が、ベトナム国営テレビを通してベトナム全土で放映されたことは記念すべき想い出となっている。

 いずれにせよ僅か1時間のドキュメントであるが、私にとっては世界の衝撃的な出来事と、走り回った昔を思い出せてくれ、同時に大きな誇りも感じさせてくれた。秀逸なドキュメントだった。

2016年2月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com