1636.2011年11月5日(土) 西岡武夫・参議院議長現職のまま逝去

 今朝の新聞のトップ記事はギリシャとイタリア関連記事で埋め尽くされている。トップ見出しは「ギリシャ、包括策受け入れ」「イタリア、IMF監視下に」である。夕刊になると「ギリシャ内閣を信任」と「西岡武夫参院議長死去」である。
 結局パパンドレウ政権は国会の信任投票の結果、153対145で辛うじて信任された。ギリシャ再生のためにはなりふり構わず、EUから融資を引き出すことに懸命である。今日中にも与野党連立へ向けて協議を開始して、EU提案の包括支援策を議会で承認する必要がある。とりあえず最悪の事態は回避されたが、これからも危機は続く。
 元気そうに見えたが、突然のように西岡参院議長が肺炎により亡くなられた。この政治家もとかくの噂のある人だった。父親が元長崎県知事で典型的な二世議員だ27歳の若さで衆院議員に初当選したが、人格的にいかがかと思えるパフォーマンスで失笑を買ったり、わがままぶりで評価を下げていた。保守各党を遍歴したところに彼のわがままな姿が垣間見える。いい年をして母親離れができず、新自由クラブをともに立ち上げた河野洋平氏と袂を分かった時にも、母親がしゃしゃり出てきて河野氏へ罵詈雑言をぶつけていた。いつまでも独り立ちできない御仁だった。衆院選で落選するや、長崎県知事選に出て金子原二郎氏にも敗れ、以後参院選で国会議員に復活はしたが、元々政治家としては人格・識見を疑いたくなる人だった。
 今年7月ごろから中立であるべき参院議長の職にありながら、菅前首相に辞職を求める発言を繰り返し、相変わらず自分勝手なパフォーマンスで目立っていた。夕刊記事から察するところ、西岡氏が菅前首相に厳しい姿勢を取り続けていたのは、どうも地元選挙区の諫早湾干拓事業に対して、菅前首相が昨年12月福岡高裁の開門を命じる、西岡氏にとって容認し難い判決を受け入れると表明したことに対する怨念が腹の中にあったからではないか。選挙区支持者の利益のために、立場を異にする前首相を攻撃していたのだ。
 名だけは通り、やることはやっていたが、これという功績はあまり知らない。引っ掻き回すだけの政治活動では、周囲が踊らされるだけではないのか。虎は死して皮を残したが、西岡氏は果たして何を残したのか。

2011年11月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com