今日は成人の日である。昔は成人の日と言えば、1月15日に決まっていた。それが1月の第2月曜日なんていう欧米スタイルに変わってからちょっとぴんと来なくなった。今年成人になった若者は全国で約122万人を数えるが、過去最少だという。少子高齢化現象がこんなところにも現れた。
今年も全国で新成人を祝う催しが行われた。毎年のことだが、折角祝ってくれるのに各地で暴れまわるバカな若者が出没して困る。沖縄や広島では毎年決まって新成人がピカピカの正装を身につけ公衆の場で警官隊ともみ合っているが、大人になったのだからもう少し真っ当な自己主張をしたらどうかと思う。震災被災地の成人が割合素直に大人になるに当って、心構えや決意をしっかり述べているのに対して、ルールを破り暴力を揮う彼らの甘ちゃんぶりは度が過ぎる。私なんか20歳の成人式は、出席したくとも浪人2年目の受験間近で父から浪人3年は認めないとプレッシャーをかけられ、暢気にお祝い行事に出席している余裕なぞなかった。
午後書籍を借りに近くの目黒区立八雲中央図書館に出かけたところ、併設しているパーシモン・ホール前は新成人が取り巻き、図書館に入りにくかったほどで、ここには華やいだ雰囲気が漲っていた。彼らの前途は洋々としているはずだが、相当な苦難も予想される。挫けずに未来を切り開いてほしいと願う。
さて、図書館で借りようと思っていた書籍は、かつてのベストセラーである小松左京の「日本沈没」だ。同じ小松の「復活の日」は読んだが、小松の名を不滅にしたのは、むしろその前作「日本沈没」であり、東北大震災の翌日の韓国・中央日報紙が「日本沈没」と報道し被災者の気持ちを傷つけたとして物議を醸し、遅まきながら12月27日付同紙で反省・訂正公告を出したほど書名のネームバリューを利用された著名な書だ。先日日経紙「春秋」だったと思うが、トラック島が「日本沈没」に出てくると書かれてあったので、この機会に読んでみようと思った。
ところが、小松左京が昨年亡くなり、また震災によるイメージのタイミングもあったのだろうか、その「日本沈没」が借り出されていて書棚に見つからない。図書館の係員に調べてもらったところ確かに借り出されていて、今でもウェイティング・リストに20人もの名がリストアップされていると聞いて、借りるのを止めた。その後東横線都立大学駅前の書店で同書を購入しようと思ったが店頭になく、自由が丘駅前の書店で尋ねてもなく、結局今日のところは引き上げることにした。
実は、昨年末以来エッセイ「トラック島の日系大酋長が見せた大和魂と謎」を、もう少し膨らませてできれば単行本にして上梓したいと考え、内容を膨らませようとしている。トラック島についてももう少し情報を盛り込もうと考えている。佐々木信也さんからもう一度話を伺い、高橋ユニオンズ時代の試合の裏話などを聞きたいと思っている。更に森喜朗元総理にももう一度お会いして、父上の話を伺い、写真も拝借したいと考えている。アイザワ大酋長についても生前お付き合いのあった兼高かおるさんにももう一度会ってこぼれ話などを詳しく聞きたいし、フリッツ・ミクロネシア大使からも大酋長の家族関係についてもっと詳しく聞いてみたい。そしてできれば私自身30年ぶりになるだろうが、もう一度トラック島を訪れ、大酋長の肉親に会ってみたいとも考えている。何とか内容的にも面白く、楽しいドキュメントに仕上げてみたいというのが今年の抱負である。
ところで、昨晩からNHK教育テレビで「日本人は何を考えてきたのか」と題する12回シリーズが始まった。第1回は「日本人はどこへ行くのか-福沢諭吉と中江兆民」だったが、大変興味深い内容と構成だった。福沢と中江のそれぞれ異なる民主主義へのアプローチ方法と日本の民主主義の過程を、専門家による分析で分り易く解説してくれた。考えるに福沢の「脱亜論」は、純粋に朝鮮の民主化について持論を披瀝し、持論を実行したのに運悪く誤解を呼ぶ結果になり、福沢にとっても忸怩たる思いであっただろう。福沢が官職に就かずしきりに言っていた「一身独立して一国独立す」に対して、国会議員になった中江の「文明に優劣はない」の言葉が印象に残っているが、中江兆民が晩年に語った「わが日本 古より今に至るまで哲学なし」の言葉は、今日の政治家の姿も映し出しているように思う。二人は同じ1901年に福沢66歳、中江54歳で世を去っている。中々の好企画であり、次週以降も期待したい。