昨日パレスチナ・ガザ地区の戦闘停止が実行された。その見返りとしてイスラエル、ハマスが互いに人質の解放を行った。開戦と同時に拘束された人質は2年間厳しい監視の下に自由を奪われていた。ハマスは20人を解放したが、他に拉致されていた28人はすでに死亡したと伝えられており、イスラエルは遺体の返還を求めている。イスラエルに拘留されている人質は、パレスチナ人受刑者250人と2年間に拘束されたガザ住民1,700人である。すでに戦闘開始以来パレスチナ人の死者は、6万7千人超にもなった。ガザの街も破壊されて難民、飢餓が充満しており、これ以上は戦争を続けるべきではない。だが、人質が解放されて停戦第2段階に入り、今後の停戦へ向けた問題は一層複雑となり終戦に持ち込むのは中々難しいと見られている。
ついては、11日夜アフガニスタンとパキスタンの国境添いで、タリバン支配のアフガニスタンとパキスタン軍との間で国境紛争があり、タリバンは戦闘員9人を含む200人以上、パキスタン軍では58人が亡くなった。アフガニスタンは今だに女性に教育不要などの差別を主張する非民主的なタリバンが権力を握り、自由・平等を抑圧する独裁国家で世界中のどの国も、公式に国家として認めていない。その中で、かつてアフガンを侵略し世界中から非難された旧ソ連のロシアが、今年7月にイスラム主義勢力タリバンの暫定政権を、世界で最初に正式に承認した。ロシアもアフガニスタンと同じような国だということを自白したようなものである。
私が15年前に国境通行路カイバル峠を訪れた当時は、両国間に紛争の空気は感じられなかったが、それでもパキスタン側の集落で、銃砲類の売買を行っていた状況から緊張感を味わったことをしっかり覚えている。そしてその緊張感から1年半後に勃発したNY9.11同時多発テロの予知らしきものを感じ取った。不思議なことにその経緯などについて著した拙著「八十冒険爺の言いたい放題」が、アメリカ人に興味を抱かれたようで、日本語の分かるアメリカ人何人かが出版社に掛け合い、拙著の英語翻訳書の出版を交渉し、私もこれを引き受けることになり、英語翻訳書と英語電子書籍が近々発行されることになった。何が端緒でゴールへ向かうのか、予測もつかないことが多いが、わが身にアフガニスタン・パキスタン国境の緊張感が書籍発行と言う形で残ることになったとは思いがけないことである。
ところで、今日10月14日は亡き母の誕生日である。明治44(1911)年東京・中野区に生まれたが、この翌年明治天皇が崩御され、年号が明治から大正へ変わった。つまり母が生まれたのは、明治最後の年ということになる。生きていれば、満114歳だった。母は心筋梗塞のため、意外に早く73歳で亡くなった。残念ながら孝行して報いることは何ひとつ出来なかった。もう少し長生きして欲しかった。
実は、現在日本人の最年長の女性が、亡母と同じ明治44年生まれだと知った。奈良県大和郡山市在住の賀川滋子さんと仰る方で、医師として地域を支えて今も元気らしく、19日夜NHKテレビ「最後の明治人」として紹介されるというので、母が生きた時代を想像出来るのではないかと今から楽しみにしている。
夜になって嬉しい大ニュースがあった。何とサッカーの日本代表チームが、世界最強国のブラジルに初めて勝ったのである。しかも逆転勝ちである。来年カナダ、アメリカ、メキシコで開催されるワールド・カップの前哨戦としてキリン・チャレンジカップと名付けられた親善試合で、ブラジルを相手に前半0-2で押されていたが、後半に入って日本は立て続けに3ゴールを得て、3ー2で逆転勝ちという離れ業をやって強豪ブラジルを降したのである。ブラジルとは、過去に13戦して、2引き分け11敗という完敗ぶりだったが、やっと勝てた。これをきっかけに来年ワールド・カップで活躍して欲しいものである。とにかくアッパレである。