2297.2013年8月27日(火) 小学校先輩の元東映エース・土橋正幸さん逝く。

 24日プロ野球東映フライヤーズのエースだった土橋正幸さんが亡くなった。連続9奪三振のプロ野球タイ記録や、日本シリーズのMVP獲得のような派手な現役時代の活躍に加えて、その後ヤクルト・スワローズと日本ハム・ファイターズでも監督を務め個性的で目立っていた。それ以外にも東映入団はテストだったとか、江戸っ子選手であるとかとかく話題に事欠かない人だったが、その土橋さんとちょっとだけ接点がある。

 新聞では浅草の鮮魚店の息子として日本橋高を出て、フランス座に勤めた江戸っ子だったとしか報じられていないが、インターネット‘Wikipedia’で調べてみると、戦時中から戦後にかけて千葉の幕張に疎開していたと紹介されている。実は、これが私との小さな接点である。土橋さんは幕張小学校では担任が湯浅和先生だった。5年生時に幕張小に転入した3年後輩の私も同じ恩師の湯浅先生が担任となった。土橋さんが東映で活躍するようになって初めて湯浅先生から土橋投手は3年前の教え子だったと教えてくれた。それ以来土橋さんの活躍を期待するようになった。

 その恩師が1984年に亡くなられた。当時土橋さんはヤクルトの監督を務めていた。訃報をお知らせした方が良いと考え、試合中の神宮球場へ電話してヤクルト球団の担当者に、試合が終わったら監督に恩師・湯浅先生が亡くなられたことを伝えて欲しいと葬儀日程と併せて連絡したことがある。土橋監督からは残念ながら通夜と告別式に何の連絡もなかった。生前お会いしたことはなかったが、いま亡くなられた先輩・土橋さんを想うと後輩の声援に応えて精一杯活躍してくれたことを嬉しく誇らしく思っている。心よりご冥福をお祈りしたい。

 その恩師を偲ぶ「和会」は、今月3日にも千葉市内で開かれたが、いつも湯浅先生の思いやりのある言葉や、校外の田んぼでの俳句作りや、版画など先生独特の情操教育的教え方が思い出され懐かしい。いつもクラスメートの間で話題になる湯浅先生の思い出は今も尽きない。

 さて、いまノン・フィクション作品「南の島の日系大酋長が示した大和魂と謎」に取りかかっているが、残念ながらご協力いただいている森喜朗元首相が忙しすぎて中々お会いする時間が取れない。今日森事務所に都合を聞いてみたところ、秘書から近日10日間ほどアルゼンチンへ出かけるとのことだった。2020年オリンピック開催地が決定するIOC総会に東京招致の応援団として出かけるそうだ。森さんの話とは別に、いまアイザワ大酋長が戦中戦後に寄宿していた藤沢市辻堂にある父親の実家の継承者に会って話を聞きたいと手を尽くしているところである。このアイザワ本家から身近な情報を得られれば、さらにドキュメントのストーリー性にも確かな裏づけが加えられると期待している。

2013年8月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com